チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ 4年6カ月

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介護ロングステイ4年6カ月

■ ニーズがなければビジネスは成り立たない
起業するならどんなビジネスがいいですか、という質問をウズベクの学生から受けたことがある。売る努力をしなくても売れる商品、向こうから買いに来る商品を扱うことです、が自分の答え。こんなものが欲しかった、これなら金を払っても惜しくはない、と客に思わせる。これがニーズだ。どんなにいい商品であってもニーズがなければビジネスはうまくいかない。ニーズが集合しているところが市場である。人に先駆けて市場を見つければ、あるいは市場を作りだせればビジネスは成功する。

■介護サービスのニーズ
チェンマイやチェンライでロングステイしている退職者は多い。その老齢者が認知症脳梗塞などで介護が必要になった時、質の高い介護サービスを提供すれば、多くの人が利用するに違いない、という。
実は邦人向け介護施設の話は良くあるし、実際にチェンマイに開設されたこともあったが、経営的にうまくいかなかった。その理由は競争が激しいうえに市場が殆どなかったということに尽きる。

タイにロングステイしている邦人の大部分は男性だ。そして多くはタイ女性と暮らしている。女性に逃げられてしまう人もいるが、概ね、女性及びその一族、村人とうまく折り合いをつけて暮らしているので、心身に不調があった場合、女性とその周辺が面倒を見てくれる。タイではカミサンが介護保険というわけだ。
また、体調不良となった場合、日本に戻る、という選択がある。帰国と同時に転入届をだせば国保の給付が受けられる。日本でならタイの片田舎とは比べ物にならない高度な医療、介護サービスが受けられる。

そうなるとタイで介護サービスを受けたいという人は、面倒を見てくれる女性もおらず、日本にも帰れないという人に限定される。ロングステイヤーが多いというチェンマイでもその数はせいぜい2千人だ。そのうち介護サービスが必要な人は3ケタいないのではないか。日本に帰国できないくらいだから、金銭的余裕はあまりない。

すでに試験的に介護サービスをチェンマイで実施している組織があるが、サービスを受けている人の満足度は決して高くないと聞く。「お金を持っていない人に限って文句が多いんです」。日本においても介護される側の横暴は目に余り、セクハラ、パワハラに泣く介護関係者は少なくない。
大体、病院で病人を「患者さま」などと言うようになってから、権利ばかり主張する変な老人が増えたように思う。タイでも同様だろう。

■いい施設がないわけではないが
チェンマイにマッケーンリハビリテーション・センターというキリスト教系の施設がある。そこに老齢者介護施設があって、日本人も1,2名入所している。もし北タイで施設に入るならここ、という人もいるが、介護士さんや看護師さんは日本語がだめ、食事は洋食またはタイ食。お粥と梅干など間違っても出てこない。緑に囲まれた素晴らしい環境にあるが、自分は入所したいとは思わない。朝からコーズローフなど食べたくないし、大体ボケているのにどうしてタイ語を話さなければいけないのか。タイ語や英語がスラスラ出てくるなら入所する必要もないか・・・

特養入所希望者と収容人員のミスマッチが指摘されているが、日本では老人の70%が東京、神奈川などの都市部に集中しているため、特養待機老人の問題は都市部だけの問題である。過疎県であれば比較的、施設への入所は容易である。いざとなったら、日本で都落ちという手はある。

■施設を拒否する選択
母とチェンライに来て4年半が経過した。人によって意見は分かれるかと思うが、介護は家族がするのが基本だと思っている。多分母も家族に介護されることを望んでいると思う。
母の症状は特養や施設の一般入所者基準を外れていたため、薬漬けかベッド拘禁、もしくはその二つを併用される恐れがあった。認知症であっても感情は残っている。誇りを失っているわけではない。最後まで母らしく過ごしてほしい。そうであれば母を日本の施設や病院に送り込むという選択はなかった。もちろん、タイで母を施設へ入れる考えも初めからなかった。

今は自宅介護ということになるが、大変なところは女中さんに任せ、我々は介護のいいとこ取りをしているような気がする。兄が一時帰国する時、暫くいないからね、と話しかけると、母は「大丈夫だよ」と答えたそうだ。聞くだけで幸せな気になる。お母様はお幸せですね、と言って下さる方は多い。でも介護生活を通して、幸せなのは自分たちではないか、という気がしている。

画像はチェンライで咲いている花。