チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ9年

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介護ロングステイ9年

■丸9年経過、いよいよ10年目に入る
今月末で母と兄と自分の3人がチェンライへやって来てから丸9年となる。チェンマイの空港に降り立ち、夕暮れの市内をインペリアル・メーピンホテルに向かった日が昨日のことのように思い出される。

「お前の話を聞いていると、タイはまるでこの世の楽園みたいだが大丈夫だろうな」と不審がる兄を「問題があったらまた3人で日本に戻れば済むことだから」と説得はしたが、自分だってチェンライでの介護ロングステイに成算あってのことではない。ただ、老々介護で、この先どうなるかわからない、それに母のような認知症患者を人間らしく見てくれる病院、施設は我々の知る範囲では見つからなかった。日本から押し出されるように北タイへ来たが、タイ行きの言い出しっぺとしては「俺も心配なんだけど」とは言えなかった。でも「介護ロングステイ9年」の原稿を書いているのだから、まずは結果オーライと言える。

余命3ヶ月と日本の医師からご託宣を受けたが、丸9年生きながらえている。ありがたいことだ。NHKの介護百人一首に「生きててね そばに私がいるからね 生きてるだけで笑顔になれる」という和歌があったが同じように思う人は少なくないのだろう。

思い出の中の母は活発で、明るい人だったが、今はいつも眉を顰め、不機嫌な顔をしている。何もかも人の世話になる今の生活は、意識ははっきりしていなくともかなり不本意と感じているのではないか。それでもその日までは穏やかに過ごしてほしいと思う。老境に入っている息子としては母の存在が日々の支えとなっている部分がある。

■1年目のブログから
チェンライに来て1年経った2010年1月のブログを読み返してみた。

『この一年、タイ語がまったく出来ず、女中さんが何人も辞めたりなどいろんな苦労があった。しかし、多くの人に支えられ、母も衰えたとはいえ息災にしているし、我々兄弟も快適な暮らしをしている。
友人がくれた雑誌に昨年亡くなった芸能人が出ていた。森繁や大原麗子と並んで小さく清水由貴子(49)の名前があった。欽ちゃんファミリーの一員として人気者だった。母親の介護をすべて背負い込んだ末の「介護鬱」による自死だったという。決して人事ではない。我々も更に追い詰められれば、どうなったか分からない。彼女に、「こういった方法もあったのですよ」と言って上げられないのが残念だ。』

チェンライに来た当初、母は多少とんちんかんではあったが、普通に話もできたし、部屋の中を歩き回ったりしてブアさんたちを困らせていた。一時的な回復ではあったが母は元気になったし、1年目の総括としてタイの生活に満足している様子が窺える。

■2年目のブログから
2011年1月のブログには、もう自力では歩けなくなったし、毎晩楽しみにしていたビール一缶の晩酌も要らない、と言って飲まなくなってしまった、と書いてある。この頃から気力も衰えてきたように思う。

車いすを押しているとき、母が「お母さんはもう死ぬよ」と呟くことがある。「そんなことはないよ、お母さんが生きているだけで皆うれしいんだから、長生きしてね」、「そうかい、そうだね」。この会話を何度繰り返したことだろう。

母は日中、寝ていることが多くなった。その分、夜中に起きていてなかなか寝付かない、時には大声を出す。母に添い寝して宥めるのだが、2時間、時には3時間たっても寝てくれないことがある。そんな時、「お母さん、長生きしてね」と言ったところ、大きな声で「いやだ」と言われてしまった。若い時から母は結構プライドの高い人だった。病み呆けた今の生活は、本人にとって不本意であるに違いない。ふと、正気に戻るとき、今の自分が嫌になるのだろうか。
「いやだ」、母の決然とした言葉に一瞬たじろいでしまい、何も言えなかった。』

■寒い乾季
昨年12月から今年の1月にかけて、タイは例年にない寒気に襲われた。北タイでは最低気温が15度以下になると山岳民族には無料の救援毛布が配られるそうだが、12月は最低気温が5度、6度という日があった。1月に入っても朝は12、3度の日が続き、文字通り震え上がった。

母はマトリョーシカか東北のエジコ(嬰児籠)に入った赤ん坊の如く毛布にすっぽりくるまれているので、風邪はひかないが、それでも時折咳き込む。母が咳き込むとこれは肺炎では、といらぬ心配をしてしまう。でも自分だって老人性肺炎の恐れなしとはしない年齢だ。
老々介護、親子共々、今年も無事に過ごせればと思う。


写真は市内で開かれている花祭りから