チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ6ヶ月

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介護ロングステイ6ヶ月

Mさん、グルシャンの結婚式に参列のため、サマルカンドに出かけた。旅行記を書き始めたら、だらだらと続いて、なかなか肝心の結婚式に辿り付けない。そうこうしている内に物忘れが激しくなってきているから、大事な結婚式のことを忘れてしまうかもしれない。

会社に入ったころ、会議予定や客先の訪問スケジュールなど1月分くらいの予定は頭の中に入っていたものだ。友人との呑み会の約束は書かなくても時間、場所を違えることは無かった。会社の上司が、「えーと、販売会議は○日の第1会議室だったな」などと手帳を出して確認するのを見て、この人は頭が悪いのではないかと疑っていた。それから幾星霜、今ではメモしていても、あっ、忘れてた!ということがしばしば・・・。あの頃の上司を思い出してはすまない気持になる。

ともあれ、タイに来て6ヶ月がたった。母は観光ビザ(3ヶ月)で入国したが、その後1年の長期ビザを取得できた。タイでは80万バーツの預金証明、あるいは預金と合わせて同額以上の年金受給資格証明があれば、1年ビザを出してもらえる。これは原則更新可能である。取得費用は3千バーツくらいだった。メーサイのイミグレーションに本人が出頭しなくても取得できたのも助かった。

自分は日本で年金ビザ(O-Aビザ)を取った。同じく1年有効で、やはり80万バーツ以上の預金証明が要る。ただ日本で年金ビザを取るためには警視庁で無犯罪証明を発行してもらい、それを外務省で確認してもらう、あるいは特定の医療機関発行の英文健康診断書等がいる。預金証明も日本の銀行口座でいいのだが、銀行発行の英文証明書を公証人役場で証明してもらう、など、事務手続きは煩雑を極める。

タイで1年ビザを取る方が、時間的にもコスト的にも格段に有利、ということはわかっていたが、以前、自分はある刊行物に「自分で年金ビザ取得の手続きくらいできなければ、タイにロングステイする資格は無い」などと書いたことがある。そう書いた手前、あえて面倒な日本でのビザ取得に踏み切った次第。この年金年ビザを日本国内で取得する人は年間800名ほどと聞いた。費用と手続きにかかる時間を考えたら、確かにタイでビザを取る方が合理的である。大体、ビザ取得のための費用があればタイと日本を往復できる。

さて、母の日常であるが、それ程変わらない。変わらないのがいいことだと思っている。シブリン病院の通院は4週間に一度、しばらく様子を見ましょう、と同じクスリを1月分貰って帰る。費用は日本で5千円ほどだ。女中のブアはその高さにビックリしているが、日本で国保に手続きすれば、支払額の9割が還付される。日本にいたときより医療費支払額は少なくなっている。

母はこちらに来た当初はほとんど歩けなかったのであるが、暖かい気候がよかったのか、一人でその辺を徘徊するくらいに回復していた。ところが1月ほど前突然、足が痛い、と手を引かなければ歩けなくなった。4年前に大腿骨を骨折し、人工骨が入っている。もしもう一度それが外れたら完全寝たきりになると医者に言われている。シブリン病院に連れて行き、レントゲンを取ってもらった。付き添いの女中が、実は夜ベッドから転げ落ちた、と医者に言っている。初耳だ。幸い、と言ってはなんだが、腰の骨にヒビが入っているが、カルシウム剤を飲んでいれば治るだろうとの診断。ゆっくりではあるが良くなっているように思う。

ブログを読みました、是非お伺いしてお話を、という方がおられる。先日も日本から学校の先生、OBの方が数名見えた。お客さんが来ると、母は急にしっかりして、よくいらっしゃいました、お目にかかれてうれしいです、などとまともに話す。えっ、京都から、などと目を丸くしてサービスに努める。別に介護の苦労を売り物にしているわけではないが、なんだ、いつもと大違いじゃないか、と自分は思ってしまう。病人にも見栄はあるのだろう、その2,3日前にも訪ねてきてくれた日本人会の人の前では手を引かれながらも足取り軽くすたすた歩いて見せた。

来客は母にとっていい刺激になるようだ。穏やかに微笑みながらお客さんに応対している母を見ると、それだけで我々兄弟はちょっぴり幸せになる。お帰りになって1時間もすればお客さんがいらしたことを忘れてしまうのだが、10年も経てば物忘れの激しい自分も、この通りになるのだろう。そう思うと少し気が滅入る。


画像は今盛りの竜眼ラムヤイ).
蜂の巣は中の幼虫を食べます。