チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

住みやすい国は

フアヒンの朝

プラチュアップキリカーンの浜

漁船

誰も泳いでいない

空軍基地内の浜

同上、泳いでもいいらしいけれど・・・


住みやすい国は

■マレーシア
以下、最近のクオーラからの引用。(Quora 『クオーラ』とはコミュニティサイトの一種で質問や質問に対する回答、質問したい内容を検索できるサービス)

定年後にあまり貯金が無くても日本より住みやすい国はありますか?

いいえ、そんな国はありません。たとえ外国語ができても、健康保険の問題や、新しい文化に適応できるかどうかという問題があります。
多くの国でリタイアメント(定年)ビザがありますが、その資格を得るにはかなりの貯蓄が必要です。だから、お金がないと、そういう国には簡単に住めないんです。
多くの日本人が定年後でマレーシアに行きましたが、ほぼ全員が日本に帰ってきます。マレーシアに残った人は、もともと日本社会でうまくやっていけなかった人たちです。日本人にマンションを売ろうとする日本人も多いため、そのような人には十分注意すべきです。(引用終り)

マレーシアはロングステイ候補地のトップになったことがある。以下はマレーシア政府観光局のネットから。

マレーシアが選ばれる理由
1.     温暖な気候
    赤道に近く常夏で、日中の平均気温は27~31度ですが朝晩は25度程度と過ごしやすい。

2.     安定した治安
    政治も安定しており、最低限を注意すればトラブルに巻き込まれる事は少ない。

3.     温厚で親日的な国民性
    温厚で親しみやすい国民性に加え、親日家の人が多い。

4.     多民族が尊重しあう社会
    お互いを尊重し、よそ者扱いされず居心地が良い。

5.     生活コストがリーズナブル
    日本の生活費でより豊かな生活ができる。

6.     日本から近く時差は-1時間
    日本にいる家族とも連絡が取りやすい(日本が10時の時、マレーシアは9時)。

7.     英語でコミュニケーションが取れる
    母語でないので、完璧に話せなくても理解してもらえる。

8.     ビザ無しで90日まで滞在ができる。(日本国籍の場合)
    政治も安定しており、最低限を注意すればトラブルに巻き込まれる事は少ない。


■リッチでないとムリ
英語でコミュニケーションが取れる、を除けばタイのロングステイ勧誘条件に重なる。マレーシアもいいなあ、と思うが、10年滞在可能なマレーシアマイセカンドホームビザ(MM2H)を取得するには50歳以上の場合、

•    35万リンギット(約1,050万円)の財産証明
•    毎月1万リンギット(約30万円)以上の収入証明または年金証明
•    仮承認後に現地の銀行に15万リンギット(約450万円)以上を定期預金
の条件を満たさなければいけない。タイに暮らすロングステイヤーで月に30万円以上の収入(年金)があるという人は少ないのではないか。タイの場合、80万バーツの預金があれば1年ビザを毎年更新できる。タイ人と結婚していれば40万バーツの預金があればいい。マレーシアからチェンライに移り住んだ知人がいた。奥さんがタイ人だったこともあるが、警官が袖の下を要求するなど、バラ色のマレーシア生活ではなかったようだ。

何処に住んでもいいところと悪いところがある。東京並みの美味しいお寿司やうな重をチェンライで求めるのは不可能だし、逆に東京にいてマンゴーやドリアンを毎日食べたいと思っても財布が許さない。ロングステイに関する限り、「青い鳥」は存在しない。

■帰国の理由
マレーシアでもチェンライでも同じだと思うが、日本人夫婦の場合、LSを楽しんでいても体調を理由に日本に帰国する人が多い。年を取ればどうしても体の不調が生じる。タイでも充分な医療を受けられる、といってもやはり体の不調があれば日本に戻って治療を受けたい、というのが人情だ。病状の説明、治療の経過説明だってよっぽどの人でない限り日本語の方が安心だ。

タイ人の奥さんがいても、体を壊して日本へ戻り、治療を受けたがそのまま日本で亡くなるという人も少なくない。日本に戻ってそのまま施設に入っている、という噂の人もいる。「故郷へ回る六部の気の弱り」の古川柳を思い出してしまう。

ともあれ、介護ロングステイが終わったのに、また奥さんも愛人もいないのにチェンライに住み続けている。そうなると国は違えど、前述の「マレーシアに残った人は、もともと日本社会でうまくやっていけなかった人たちです」の一言が胸に突き刺さる。チェンライに残っているのはもともと日本社会に適応できない問題児だからか。自分としては日本社会でうまくやっていけないことはないと思うが、10年以上異国に暮らしていると、山岳民族の老婆がスーパーのエスカレータの前で逡巡しているような恐れを日本社会に感じるようになっている。

のんびりしたタイの生活に馴染みすぎたのだろうか。多分、住めば都ということだろう。今のところは・・・・・。