チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

何のために書いてるの?

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数寄屋橋の交番

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数寄屋橋交差点

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銀座4丁目交差点方向

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銀座4丁目

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同上

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三越のライオン、マスクは1年以上


何のために書いてるの?


■ウズで始めたブログ
何をモチーフにしてブログを書いているの?と問われたことがある。何が言いたいの、くらいの意味だろう。「チェンライの市場から」というタイトルであるが、市場情報を定期掲載してきたわけではない。今は日本に滞在中でチェンライを離れているから、看板に偽りあり、だ。

2006年4月にブログを始めた。その時のタイトルは「ウズベクのバザールから」だった。タシケントのバザールはチョルス、ヤンギオボド、アライスクなど市場ごとに特色があり、自分が見て面白いのだから、と看板に偽りなしのブログを書いた。市内からバザールまでの交通手段、時間、運賃、商品の特徴など実用的な情報が中心。実際に訪問する人の為であった。

大阪からタシケントへ戻るSVの友人が、たまたまウズ観光へ出かけるご婦人連と空港待合室で一緒になった。大阪のおばちゃんたちは「南極も行っちゃったし、もう行くところがなくてねー」と友人を質問攻めにしたそうだ。ウズベクは南極より秘境だったわけだ。
ウズベクの在留邦人の数は、自分がウズに赴任していた2006年11月現在で126名、大半がJICA関係者という知られざる国だった。当時はウズベキスタンに関する書籍、情報が乏しかった。何を書いても本邦初公開、と張り切って書いた。ウズベクに興味を持ってもらえるよう、最新のウズベク情報を発信しようという使命感があったように思う。使命感というより毎日、見るもの聞くこと総てが刺激的で書き留めずにはいられなかった。1日のブログ閲覧者が二桁、つまり10名を越えたと喜んでいたほどの零細ブログであったが、「モチーフ」はあったし、書くことが楽しかった。

■タイ移住を機会に再開
タシケントでの教師生活を2年で終えた。2008年のことである。年金がもらえる年齢になっていたので働くことをやめた。五斗米のために腰を折る能わず、という意地があったわけではない。自分のような人間が「交際社会に他と共に醜体を共にし(福翁百話)」てはいけないという気持ちもあったが、単に怠惰、それだけの理由だったと思う。だからブログも帰国で一区切り、中断した。

飢えず、凍えず、僅かに口に糊するひっそりとした余生を送るはずであった。でもウズから帰国してみると、母の認知症が進んでいて、老々介護で大変なことになっていた。経緯は何度か書いているが、いろいろあって、2009年1月からチェンライで介護ロングステイをスタートすることになった。

異国での介護がうまくいくという確信があったわけではない。ただ認知症の母が人間らしい介護を受けて、人間らしい最期を迎えられるかどうかの確信が日本では持てなかった。団塊の世代が親の介護にあたるという時期だったので、そういう人たちに、こういう介護の方法もある、何かの参考になれば、という気持ちでブログを再開した。

「介護ロングステイ」などと言っているが、介護は女中さんに任せきり、N西兄弟は母親をほったらかして遊蕩三昧、などと2ちゃんねるに書かれたことがある。100%間違っているとも言い切れない。ともあれ、いろいろな人のお陰で母が天寿を全うしたのが2018年だった。

■日本人の誇り
介護が終わったにもかかわらず、ブログを書いているのはなぜか。それは、中断時期はあるものの10年以上、海外に暮らすうちに日本とか日本人に対する見方が変化してきているせいだと思う。日本人ほど礼儀正しくて、思いやりがあり、誠実な民族はいない。民度の高さは阪神淡路大震災東日本大震災を見ればわかる。世界が日本国民の振る舞いに吃驚した。

住んだ国はウズベクとタイしかないけれど、両国とも親日国である。ウズにはシベリアからの日本人抑留者がいた。タイは大東亜戦争当時、同盟国であり50万の日本兵士がいた。祖父母が国共内戦を逃れて、雲南からチェンライに逃げ込んできたという人がいる。中国系タイ人であるが、お父さんが子供の時、日本の兵隊さんに遊んでもらったという話をしていた。中国と半島を除けば、世界は親日国ばかりである。

それなのに、マスコミや野党は日本を貶めてやまない。中韓以外の国に行ったことがないのか。ともあれ日本は素晴らしい国である。これは先人が築き上げたブランドではあるが、自分もその誇りを持ち、次世代にこの日本ブランドを繋げていきたいと思っている。偉そうなことを言っているが、書くことでボケ防止、あるいは身近な人への生存証明程度にはなるか、と惰性で書いているだけかもしれない。


実は前々回、「人権擁護、差別撤廃」が1500本目のブログでした。過去の記事を眺めているうちに自分の内部の変化に気づいた次第です。