タイとウズベク
PCからコピーした音楽を車の中で聴いている。椿姫やカルメンのアリアを聴くとウズベクを思い出す。タシケントのナボイ劇場には何度通ったことだろう。ナボイ劇場は1947年完成、レンガ造り、3階建て、座席数1400、ビザンチン様式の建物である。建設にはシベリアから送られた日本人抑留者が携わった。1966年にタシケントを襲った大地震にもびくともせず、さすが日本人の作った建物は、とウズベク人の賛嘆の的となったことは有名。この劇場では夏季と月曜を除き、毎日オペラ、バレエが上演される。時にはフルオーケストラによる演奏会もある。料金は日本円で200円から300円。日本でオペラを楽しもうと思ったら何十倍もかかる。
一流の歌手や演奏家はロシアに行ってしまうから、演奏の質はどうも、という人は居たが曲がりなりにも生演奏、生舞台だ。チェンライには映画館はかろうじてあるが、コンサートホールはない。乾杯の歌、パリを離れて、誰も寝てはならぬ、ハバネラなどオペラの名曲を聴くと、ナボイ劇場から地下鉄の駅まで凍りついた道を歩いたタシケントの夜が懐かしくなる。
それぞれの国、都市にはそれぞれに良いところがあり、簡単に比較はできない。ラグマンとクイッティオとどっちがうまいかと言い合うようなものであまり意味がない。しかし自分が長く暮らした外国というとウズベクとタイしかない。チェンライの日常をタシケントの日常で推し量っているところがある。もちろんクラシックに関してはタシケントに軍配が上がる。チェンライ市内で毎週、土曜バザールが開かれる。飲食屋台、Tシャツ屋、似顔絵、木工製品など雑多な店が2キロほど並ぶ。そこをタイ人カップルや観光客がだらだらと歩く。所々で歌舞音曲が演奏されている。小編成のクラシック楽団が演奏していたが、高校のクラブ活動の一環でやっているらしく、ちょっと人前ではねえ、という音色であった。
建造物に関して言えば、タシケントはソ連がインドに見せ付けるためのモデル都市として整備したため、ロシア風の辺りを威圧するような建物が沢山ある。チェンライにはビルディングがない。高くても3階建て、ホテルを除けばエレベーターのある建物はないといっていいだろう。なんとなくチェンライは空が広いような気がするのは高層建物で視界が塞がれないからだろう。
タシケント市内には片側4車線の幹線道路が走っている。チェンライ市内は、道は広くはないか、何処もきれいに舗装されていて穴ぼこはない。郊外に出ると、さすがタイは中進国と感動する。道路に穴やひび割れがない。ウズは零下20度から炎熱50度という苛酷な環境であるから道路の傷みが激しい。しかしタシケントとサマルカンドを結ぶ幹線道路でさえ、スピードを50キロ以下に落とさなくてはならないほど、道路が傷んでいる箇所がある。タイと違って修理されている様子がない。タイもウズも地方都市と首都を結ぶ道路は100キロ以上の速度で車が走っているが、高速道路ではない証拠に時折、牛の群れが道路を横切る。道端でスイカや瓜などの果物を売っているところも同じ。
青果物でいうとウズの冬はジャガイモ、人参、玉葱を除いて何もない。もちろん果物もない。春になって、果物や菜っ葉がバザールに出回ってくると彩りが豊かになってとてもうれしい。野菜や果物の盛りは短いので、ジャムやコンポート、漬物など長くたべられるように工夫するのが主婦の腕の見せ所だ。
タイは常夏の国だ。いつも何かしら果物と野菜がある。種類も豊富で、チェンライに来て初めて食べた野菜、果物は多い。女中さんは野菜、果物の買い溜めはしない。その日に買ったものをその日に食べる。市場に行けばいつでも新鮮な食材が買えるからだ。大きな冷蔵庫を買ったが入っているのはビールばかりで野菜はほとんどない。
買い物はどうか。ウズでは食糧を買出しに行くときは、制限時間一杯になった高見盛のように気合が入った。数量はごまかす、値札が出ているのに「今値上がりした」とお釣りをくれない、特に自分が外国人だからではなく、ウズベク人でもボンヤリしているとやられると聞いた。その点、チェンライは気が楽だ。菜っ葉が一束5バーツの世界だし、価格交渉をしなくても果物にはキロ単位の値札が付いている。おまけもうれしいが、コップクンカーと愛想よく言ってくれることもうれしい。こういう日常に慣れてくると、喧嘩ごしの価格交渉が常だったあのバザールでの緊張感が懐かしく思われる。人間とはわがままなものだ。
写真はタシケントのナボイ劇場です。ウズベキスタンでは(日本人)抑留者の方々のうち約500人が、この劇場の建設に従事させられました。
http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/archive/2006/08/28