チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

アカ族の焼酎

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アカ族の焼酎

5月の初め、メースアイの奥にあるアカ族の村パナセリを訪問した。兄に母の世話を頼み、たった一泊の旅行だったが、いつものように副村長アダムの家に泊まり、焼酎を酌み交わす。ウーム、今度の酒は悪くない・・・

将来は海外暮らしをしてみたい、という退職者夫婦が中心の任意団体、ロングステイクラブに入会して10年以上になる。ロングステイ先選定の参考になれば、という気持で会報にタイのレポートをよく掲載してもらった。執筆枚数に制限がなかったので、中には長い文章を読まされてうんざりした会員もいたと思う。編集世話役の方もそれを分かっていたのか、時折、500字程度でコラムを書けという指示があった。下記はその一つである。

焼酎の話

焼酎の歴史は紀元前300年頃のギリシアに遡ります。そこで生まれた蒸留機がアラビアを経由して世界に広がりました。10世紀にはシャム(タイ)で作られた焼酎が中国に輸出されていたという記録があります。15世紀には南蛮(シャム)の焼酎蒸留技術が琉球に伝わって「泡盛」がつくられました。泡盛は長粒種の米を原料に使い、今でもタイから輸入したタイ砕米で泡盛が生産されています。日本では琉球から技術を取り入れた薩摩の「唐芋焼酎」が江戸中期から出回りました。

私がアカ族の部落でご馳走になった密造焼酎は泡盛と原料、製法が同じですから、味も全く同じ、いえ、それ以上でした。(会報47号参照)。メースアイに住むMさんは自宅の新築祝いに40リットルものアカ族焼酎を仕入れ、村人に振る舞って大好評を博したそうです。(なんせ、中西さんがあの焼酎を絶賛していたから、とのこと)

アカ族焼酎の値段ですが、20Lボトル1本が、なんとたったの千バーツ(リッター/150円弱)。タイでロングステイするようになったら、このボトルを棚に置き、内径2ミリほどのチューブを引っ張って、日がなチューチュー吸って寝て暮らす、という夢ができました。(これこそ本当のアル中ですね) 

長いスピーチはいつでもできる、短いスピーチをするには相当の準備が必要だ、だらだら書くのは誰でもできる、短く書くには時間がかかる、というが、自分で短いものを書いてみると確かに難しい。上記のコラムは字数にして何とか500字、書き上げるのにかなりの時間を要したことを覚えている。苦労して書き上げたものだから、出来たときは嬉しくて、「読んでね」とあちこちにメールしたもの
だ。

友達とはありがたいもので、技術士の資格を持つ友人からすぐ返事があった。「内径2ミリのチューブでは焼酎がドバドバ流れてきて、アル中になる前に急性アルコール中毒になって死んでしまう」。チューチュー吸うには内径1ミリ、あるいはチューブを工夫して赤ちんの哺乳乳首をつけるといいだろうとのこと。まさに口唇期だ。自分でも「チューチュー吸ってこれが本当のアル中」というセリフが気に入っていて、酔うとこの話を繰り返す(らしい)。もうお前のその話は聞き飽きたぞ、という友達甲斐のない人もいる。

数年前、この酒を日本に持ち帰り、友人を集めて飲ませたことがあった。みなその旨さに驚愕し、これだったら30?くらいすぐ私が捌きます、という人もいた。チェンライに行くたびにアカ族の焼酎を持ち帰った。ドンムアン空港の手荷物一時預かり所でリュックに入ったペットボトル数本の液体を見て、これはなんだ、と係員が緊張して詰問してきたことがあった。フタを開けて臭いを嗅がせたら一気に脱力したようだったが。

ところがこの焼酎、品質管理ができていないために、あるときは清澄にして芳醇、あるときは粗くてエグミが残るなど行くたびに味が違う。焼酎を持ち帰ると友人たちを集め、試飲会をしたものだが、みな驚くほど繊細な舌を持っていて、前回の酒と比較してああだ、こうだと的確な評価をしてくれた。こういった「違いが分かる」人の集団が日本人だと思う。高品質で知られる日本製品はこういった日本人の繊細な感性に支えられているといっても過言ではない。初めて飲んで感激したあのアカ焼酎を安定的に輸出することは難しそうではあるが、まあ自分がチューブで飲む酒を確保するくらいは問題ないだろう。嬉しいことに価格は昔と変わらない。今は母の介護第一であるが、いつかアカ族の村でアル中になる、という夢だけはまだ棄てていない。

写真下のレストランは日本人のよく利用シューチャンの店