チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

サトウ・ケイゴ君

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サトウ・ケイゴ君

タイ語の授業に行ったら、ジアップ先生がサトウ・ケイゴという男の子の話を知っているか、と聞く。今、タイで一番の有名人だと言う。知っていますよ、日本人男性とタイ女性の間にうまれた子供でしょう?この話題でしばらく授業が始まらない・・・・

以下は日経ネットからの転載

日本人の父親探しの少年、タイ北部で話題に 外相が捜索指示
 タイ北部ピチット県の寺で、日本人の父親を捜しているタイ人の少年が話題になっている。父親だという男性の写真を胸に下げ、日本人観光客らに消息を尋ね歩いているという。日本の大使を務めた経験のあるタイのガシット外相も外務省職員らに指示を出し、本格的な捜索が始まった。12日付のタイ地元紙によると、少年は9歳で「ケイゴ・サトウ」と名乗っている。今年4月、病気で死亡したタイ人の母親ティップモンターさんが死の直前に「タールアン寺に行けば必ずお父さんが探しに来る」と言い残したため、土産物を売る叔母とともに同寺で父親捜しを始めた。

 父親の名は「サトウ・カツミ」といい、2000年に母親と当時生後4カ月のケイゴくんと3人でピチット県にある母親の実家に帰省。夫婦はケイゴくんを実家に預けて首都バンコクに働きに出たが、その後、08年4月に重病を患った母親が1人で帰省し、約1年後の4月3日に息を引き取ったという。(引用終わり)

以下はバンコク週報からの続報。
タイ人の母親と死に別れた小学校4年のサトウ・ケイゴ君(9)が1枚の写真を頼りに日本人の父親、サトウ・カツミさんを探していることがタイと日本のマスコミに大きく取り上げられていたが、16日、ケイゴ君はピチット県庁から父親が見つかったとの連絡を受けた。
その時、ケイゴ君はうれしさのあまり、身体を振るわせて号泣したという。

 同県のソムチャイ県知事によれば、在タイ日本大使館よりケイゴ君の叔母、パタマさんに、父親が見つかり連絡も可能、との連絡が入ったという。さらに、カツミさんが同大使館を通じて、今、来タイすることができないため、ケイゴ君にバンコクに出てきてもらい、そこで国際電話を通じて話をしたい旨を伝えてきたとのことだ。

 これに対して、同県知事は、「できれば直接、ピチット県に電話をかけてきてほしい。そのために、モニターに映る顔をお互いに見ながら話ができるようビデオ会議室と通訳を準備する。ただ、可能なら今すぐに来タイしてほしい」と話した。

 一方、ケイゴ君の叔母、パタマさんによれば、「カツミさんがタイに来ることができないことを知ってから、ケイゴは、『父さんは僕のことを愛していない』といって泣いており、誰とも口をきこうとしない」とのことだ。
「私たちは何もいらない。ケイゴの小さい時から愛情をもって養育してきた。ケイゴが父親を捜してきたのは、他の子どもと同じように父親がほしかっただけ。カツミさんには1バーツたりとも要求しようと思わない。ケイゴに顔をみせ、そして抱いてほしいだけ」とパタマさん。

 ケイゴ君も、「父さんがタイに来てくれないことを知って、残念でたまらない。お父さんにぜひ、伝えてほしい。『僕はずっとお父さんのことが恋しかった。お父さんを愛している』と。僕はなにもいらない。ただ、お父さんを抱きたいだけ」と涙を流しながら語った。さらに、「僕はお父さんがほしい。そうすれば、学校のみんなから、『親なし子』とからかわれることもなくなる」とも話していた。

 翌17日も父親と話をすることができなかったことから、叔母のパタマさんによれば、「ケイゴは食事をせず、夜も眠れず、頭痛を訴え、『父さんは僕を愛していないから、タイに来てくれない。僕は父さんに捨てられた』と話している」とのことだ。

 このため、ピチット県を選挙区とするサナン副首相は、県知事に対して、可能な限りケイゴ君を支援するよう指示。さらに、在タイ日本大使館と協力して、一刻も早く親子の対面が実現するよう命じた。同副首相は、「カツミさんは必ずタイに来ると信じている。それまでは、我々、ピチット県人がケイゴ君の面倒をみる」とコメント。

 ピチット県人会では、ケイゴ君に対して、毎年1万バーツの奨学金を、大学を卒業するまで、もしくは父親と日本でいっしょに住むことになるまで支給することを決定した。

 なお、18日は始業式でケイゴ君も通学し、クラスの友人に会ったことで、すこし笑顔が戻ってきたという。なお、ケイゴ君のクラスは1組。この組は勉強の一番できる子が集まるクラスとのことだ。(引用終わり)

彼と同じように日本人の父に棄てられた子供は少なくない。チェンライにも何人かいる。日本からの仕送りもないため、母は、再び都会や外国に出稼ぎに行く。父母を恋いながら、北タイでひっそりと暮らす子供たちに、日本人として心の痛みを感じている。

画像はアカ族の村の子供たち