チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

さくら

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さくら

暖冬、また3月中旬の寒の戻りなどあって人をやきもきさせたが、東京のさくらも開花したようだ。3月25日の日曜には3分咲きの花のもとでお花見の宴会があちこちで繰り広げられたことであろう。自分が属しているドラゴンボートチーム、「東京龍舟」も東大島に40人近くの仲間が集まってお花見をしたようだ。参加したかったが、ちと遠くに住んでいるため行けなかった。残念。

先週の彼岸の入り、18日に日本人会婦人部の呼びかけでタシケント日本人墓地のお参りがあった。大使夫人始め、20数名が参加、慰霊碑に香華灯燭を手向け、ウズベクで没した抑留者の冥福を祈った。タシケント日本人墓地はヤッカサライのモスレム墓地の一角にあり、いつ行ってもきれいに掃除がされている。ソ連時代に、日本人墓地を破壊して更地にせよという命令がモスクワから発せられたが、ウズベクの人はそれを黙殺し、墓地を美しく維持してきた。この無償の奉仕をしてきたウズベク人親子の話は元ウズベキスタン大使、中山恭子さんの著書「ウズベキスタンの桜」に詳しい。墓地には日本から贈られたソメイヨシノ若木が数本ある。墓参りの時はピンクのつぼみが今にも零れ落ちそうになっていたが、開花には至っていなかった。管理人の話では花が咲くと大使館に連絡する、そうすると大使館の人が見にやってくる、とのことだった。

この時期、日本では開花予想、さくら前線、満開情報、咲いた、散ったとテレビでもさくらの話題でにぎやかなことであろう。花の話題で国民が一時期、一喜一憂する国は他にあるのだろうか。
例えばオランダにチューリップ前線、アメリカ東部にハナミズキ前線とかいうものがあって、花をめでながらワインなどすするのだろうか。
実は気象庁にいる友人に調べてもらったことがある。結果は何とか前線という花の開花状況を天気予報と一緒に流している国はなく、花の下で宴会している国は日本だけだろうという答えだった。

さくらの「さ」は早乙女、早苗の「さ」であり、お米と関係がある。「クラ」はお神楽の「クラ(庫、蔵)」、つまり神様がましますところと言う意味だ。さくらはお米の神様がおられる所という意味になる。さくらの花が咲く頃に田植えの準備にかかる、また花の時期が長ければ豊作になる、さくらは米作の予兆であったのだろう。

京都の今宮神社に「やすらい祭り」というものがある。太秦の牛祭・鞍馬の火祭とともに京都三奇祭の一つとされ、国の無形民俗文化財に指定されている。4月の第2日曜に開催されると決まっていて、地元では「やすらいさん」として親しまれている。やすらい花や、よーほい、と言うてはる。歌はゆったりしててよろしおすなぁ、ということだ。「やすらえ花よ」というのは「花よ、やすらって下さい、風に散ってはだめですよ」という意味だ。
なぜそんな風に唱え、踊るかというと、さくらの花が5日しかもたなかったら、その年は非常に凶作だということになる、ところが、10日以上も花がもてば大豊作だと。米作とさくらとが密接に結びついているわけだ。今宮神社の祭神として稲田姫命が祀られているのも米作-さくら関連説を裏付ける。

さくらの花見をすると日本人は感動する。それは生産と結びついているからだと思う。それに信仰心とも結びついている。神様に祈ってさくらが散らなければ、今年のお米は大豊作ということになる。
したがって、さくらの下で宴会をするということは単に酒を呑むということではなく、神様と一体になる「なおらい(直会)」という重要な宗教儀式である。さくらの季節になるとついつい呑みたくなるのは自分の中の古代日本人の原宗教意識がそうさせるのであって、決して自分がアル中予備軍だからではない。

日本にいればこの季節、一瓢を携えて墨堤に遊ぶ、ということも可能であるが、こちらでは日本の知人にもらったウィスキーフラスコにウオッカをつめて、日本人墓地かビジネスセンター近くの日本庭園に行くしかない。ウオッカではやはり花見酒にならないなあ。