チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

旧市街を歩く

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タシケント旧市街を歩く

旧市街に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。旧市街の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当てもなく歩くことによって始めて獲られる。春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも、雪にも、風にも、霧にも、霜にも、雨にも、時雨にも、ただこの路をぶらぶら歩いて思いつきしだいに右し左すれば随所に吾らを満足さするものがある。

これがじつにまた、旧市街第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている。旧市街を除いてタシケントにこのような処がどこにあるか。ナボイの砂漠にはむろんのこと、サマルカンドにもない、そのほかどこにあるか。小道と土壁とがかくもよく入り乱れて、生活と歴史とがこのように密接している処がどこにあるか。じつに旧市街にかかる特殊の路のあるのはこのゆえである。

 されば君もし、一の小径を往き、たちまち三条に分かるる処に出たなら困るに及ばない、君の杖を立ててその倒れたほうに往きたまえ。あるいはその路が君を小さな広場に導く。広場の中ごろに到ってまた二つに分かれたら、その小なる路を撰んででみたまえ。あるいはその路が君を妙な処に導く。これは広場の奥の古いモスクで青いタイルの円頂が並んでその前にすこしばかりの空地があって、その横のほうにアンズの花など咲いていることもあろう。頭の上の梢で小鳥が鳴いていたら君の幸福である。すぐ引きかえして左の路を進んでみたまえ。たちまち小道が尽きて君の前に見わたしの広い広場が開ける。

足元からすこしだらだら下がりになり白壁、土壁が両側にせまり、小さなガラス窓が日に光っている、茅屋の先きは小径で、道の先に修理中のモスクを見ることもあるだろう。青いモスクの円頂の上に淡々しい雲が集まっていて雲の色にまがいそうな空がその間にすこしずつ見える。弥生三月の日の光のどかに照り、小気味よい風がそよそよと吹く。
もしモスクの内庭に入ってゆけば、今まで見えた広い景色がことごとく隠れてしまって、小さな谷の底に入る気持ちになるだろう。思いがけなく静かな空間が土壁の家と小径との間に隠れていたのを発見する。祈りの空間は清く澄んで、大空を横ぎる白雲の断片を鮮かに映している。

このモスクに沿う途をしばらくゆくとまた二つに分かれる。右にゆけばまた土壁の家、左にゆけば坂。君はかならず坂をのぼるだろう。とかく旧市街を散歩するのは高い処高い処と撰びたくなるのはなんとかして広い眺望を求むるからで、それでその望みは容易に達せられない。見下ろすような眺望はけっしてできない。それは初めからあきらめたがいい・・・・


以上、お分かりと思うが、国木田独歩の「武蔵野」を下敷きにチョルスあたりの旧市街をご紹介してみた。独歩の「武蔵野」とウズベク語の発音で「エスキー・シャハール」と言われる旧市街の共通点は狭い小径にあると思う。一方は自然の中の、一方は歴史と生活の中の小道であるが。

旧市街の通りはマハッラ(町内会)がしっかりしているので、でこぼこではあってもきれいに清掃されている。小道の中央が下水溝になっている、恐らく数百年は続いている下水道システムであろう。
独歩の描いた武蔵野は今の渋谷道玄坂あたりらしい。渋谷界隈ではもう武蔵野を思わせる雑木林は姿を消して久しいが、タシケントの旧市街は昔のモスクや街並みが残っており、独歩が武蔵野を散策した頃、つまり100年ほど前からほとんど風景は変わっていない。

旧市街にはメインストリートと呼べるような通りはないが、サーカスの裏手から北に延びるザルカイナル通りに見どころが多く集まっている。このうねうねとした細い通りをしばらく辿っていくと、小さなロータリーがあるハスト・イマーム広場に出る。この広場を囲むようにバラク・ハーン・メドレセとモスクとカファリ・シャーシ廟などが建っている。バラク・ハーン・メドレセの向かい側にあるモスクの中庭にイスラーム図書館があり、古くから保存されている貴重なコーランもある。

独歩は林や苔むした墓などに興趣をそそられているが、旧市街では古い街並みと曲がりくねった道、そして突然現われるモスクに心を惹かれる。
そして、見知らぬ旅人に「サラマレコン」と屈託なく挨拶してくれる少女たちに心を洗われる思いがする。異国にある喜びをそっと感じる時でもある。