旅行中につき2013年11月にアップしたブログを再掲します。この日から10年余、GHなどの値段は変わりましたが朝市は昔のままです
ソードタイ
■新しい街
チェンライからホェイモ村までは約70キロ、車で2時間足らずの距離だから日帰り可能。でもブランコ祭りの番組の中で、ソード・タイ村の朝市が紹介されていた。どこか鄙びた風情で好感が持てる。せっかく近くまで行くのだからこのソード・タイの朝市を見物しよう、と決めていた。ソード・タイは英語でThoed・Thai、ソエッド・タイと発音するのかと思ったが、どうも違うようだ。
ホェイモ村は戸数35,人口200人ほどの小さな集落であるが、同じ村でもソード・タイは人口6千人以上、ゲストハウスが3,4軒ある立派な街である。
1903年にミャンマーからアカ族がやってきて住み始めたのが最初というが、今ではリス族、モン族、ラフ族、シャン族の少数山岳民族に加え、国民党の子孫たちも暮らすエキゾチックな街である。
前回、祭りに訪れた時、ソード・タイでホェイモ村への道を尋ねたのだが、タイ語がわからない人がいた。日本だったら日本全国日本語で通じるが、タイではタイ語が通じない地域もある。
■宿探し
ソード・タイのネット情報はほとんどない。手許の「地球の歩き方」にも何も記載がない。本当の「隠れ里」なのか。
3051線沿いに山道を登っていくとゲートをくぐり、両側に人家が立ち並ぶところにでる。ここがソード・タイの街だ。赤い中国語の幟や看板が目につく。雲南郊外の村といった雰囲気だ。
街を流れるメカム川沿いにリムタン・ゲストハウスがある。山小屋形式、一泊日本円で1000円から1200円。川に面したコッテージではせせらぎの音が聞こえる。数年前までソード・タイのGHはここ一軒だけだったという。京都鴨川に面した老舗旅館を思わせるが、川の水はタイの川だからラテライトで赤く濁っているし、老舗にしてはしょぼい。
日本人も泊っていたよ、朝市にも歩いて行けるとGHのおじさんは言ったが、即決する必要はない。またあとで来ます。
国道を150mほど奥に入ったところにリゾートホテルがあった。名前はリゾートだがフラットの山小屋形式でGHと変わらない。一泊1200円。ホットシャワー、テレビ付き。新しいし、清潔そうなのでここに決めた。通常、タイで宿泊する時、パスポート番号や名前を宿帳に書くが、このホテルでは宿泊費と交換に部屋の鍵が渡されただけ。それで手続きはすべて完了。
■夜の街へ
テレビは30チャンネルほど視聴できる。でも半分は中国の放送。CCTVや四川省など中国本土の番組もあるが、必ず繁体字のテロップが画面下に流れる。国民党の子孫が対象か。
テロップを斜め読みするのに疲れてきた頃、外が暗くなってきた。ホテルの主人に美味しいよ、と勧められた雲南料理店に行ってみた。中国語、英語のメニューが出てきたところを見ると外人客も来るのだろう。豚のすね肉を煮込んだ雲南スープは抜群だった。二人でお腹いっぱい食べて代金は1000円弱。
日の高いうちに街を車で行き来して、カラオケ店が数軒あるのを確認していた。どういうわけかマッサージ店は1軒も見当たらない。食事のあとにカラオケ店に行ってみた。山岳の女子高生グループがマイクを握って絶叫している。耳が痛くなる。日本語のできるママさんから朝市の情報を仕入れ、9時前に店を後にした。ビールとコーラでお勘定は500円弱。
■朝市
晴天の約束事として山の朝は霧に包まれる。朝市は6時半、暗いうちに始まり、霧が晴れる午前9時にはお終いになるという。7時前にホテルから歩いて3分の朝市へ、カーカム寺の門前、東西数百mの道の両側に露店が並ぶ。まず目についたのが揚げパンと豆乳の屋台。中国の朝食の定番だ。リスやアカ、タイヤイの人々が行きかう。人通りが多い割には静かな市場だ。売る人、買う人、ひっそりと話す。托鉢僧にタンブンし、お経に聞き入る人もいる。七輪でゴマ餅を焼いていた。バナナの葉にくるまれた餅をやけどしないよう注意しながら食べる。
この市場ならではの品もある。日本と同じ豆腐があった。大豆モヤシもある。朝鮮人参、鹿の角などの薬品もある。スペインのハモン・セラノにそっくりな塩豚肉の塊があったので迷わず購入。決して高いものではない。旅先で珍しいとか面白いと思ったものは買わないとあとで後悔することが多い。
お買い得だったのはチークの葉にくるまれた納豆、包みは竹の細いひもで縛られている。完全なエコ包装だ。糸を引かないだけで味も姿も日本の納豆と同じ。一つ10B(30円)というのも嬉しい。
カーカム寺に登って市場と街が一望できる場所に来た。田舎家に交じってイスラム寺院が見える。遠くの山にはまだ霧がかかっている。落ち着いた山の暮らしが垣間見える村、それがソード・タイと言えるだろう。