チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

王宮、帝陵を巡る

 

王宮の午門

午門のあたりは遠足の子供で一杯、望遠で

フエ、新市街の夜

陵に続く石段

フエのティエンムー寺の石塔

フエからホイアンへの寝台バス、まだ空いているとき


王宮、帝陵を巡る
■フエの顔、王宮
バンはダナンからフエのホテルまで2時間で到着した。通常、移動には予め切符を手配し、バスターミナルや駅に行く必要がある。ドアツードアのサービスは初めてだ。早めにチェックインできたので荷物を置いてフエの顔、王宮に向かった。フエはベトナム最後の王朝、阮朝の都として栄えた古都でベトナムの京都と呼ばれている。旧市街全体が王宮となっている。清朝紫禁城を真似て造られたそうで、面積は本家の4分の3はあるという。地図を見て近いと思ったが意外と遠く1時間歩いてやっと王宮の門に着いた。ネットでは王宮を歩いて回ると2時間はかかるとあった。

実はベトナムに来る7日前にぎっくり腰になり、2,3日で治った(と思った)ので5日目にテニスをやった。これがよくなかったのか、ホテルから王宮まで1時間歩いたら腰に違和感が出てきた。王宮の門の前でリキシャがたむろしていて1時間で回れます、とモーションをかける。通常は取り合わないのだが、お金はこういう時に使わなければ何時使う。ゆっくりとリキシャの案内でほぼ見るべきところは見た。壮大な王宮を造営するために皇帝バオ・ダイは人民に対して苛斂誅求と言っていいほどの高税を課した。そのせいかバオ・ダイ阮朝最後の皇帝となったが戦後、亡命先のパリで1997年に亡くなっている。

えらくデカい王宮を作ったなというのが歴史をよく知らない素人の感想である。壮大さは感じるが、ベトナム戦争時の爆撃で損壊した建築物を近年になって修復したという。何か有難みを感じなかったのはそのせいかもしれない。

■フエの夜
フエの新市街にはレストラン、カフェ、カラオケなどパタヤかパッポンを思わせるような繁華街がある。ミニのケバイおねえさんも歩いている。バイタクやリキシャが寄ってきて「レイディ、レイディ、ガンジャ」と誘ってくる。ガンジャマリファナのこと。ベトナムではまだマリファナはご法度、捕まると最悪死刑になる。金曜の夜だったせいか、ファランベトナムの若者でどの店もにぎわっている。ダナンと同じく海に近いからシーフードのレストランもあった。ベトナム戦争と聞くと自分はトンキン湾事件などを思い起こすがトンキン湾はフエの東にある。

飲食街の周りは小さなホテルやマッサージ店が連なる。ベトナムの京都というよりベトナムの歌舞伎町ではないか。ただダナンと違って高層ビルがないので、チェンマイ辺りの風情に似ていないこともない。

■外国人観光客で一杯
ベトナム4日目は終日雨の予報となっていた。レンタバイクで走り回るのはちと辛い。フエで行くべき場所として王宮の他に、トゥドゥック、カイディエン、ミンマンの3つの帝陵とティエンムー寺の4つがある。ホテルでタクシーを手配してもらってこの4つを回ることにした。帝陵は阮朝3代の皇帝の墓である。左右対称に門や建物、塔、廟がずっと山に続いている。ということは入り口から最後の陵に辿り着くまでかなりの数の石段を登らなければならない。5年後はムリだなあと呟きながら登る。同じ陵でも八王子にある昭和天皇陵、武蔵野陵( むさしののみささぎ)の100倍はあるのではないか。

トゥドゥック、カイディエンの帝陵とティエンムー寺は市内に近いせいか、ファラン、韓国、中国、それに年配の邦人に多く出会った。チェンライにファランが増えたと思っていたが、これだけ多くの外人を見るとやはりチェンライなんか僻地、田舎だなあと思わざるを得ない。3つの陵のうちミンマン帝の陵は郊外に位置しているせいか訪れる観光客は少なかった。雨模様のひんやりとした空気の中、ここは落ち着いて回ることができた。

■フエからホイアン
ベトナム5日目、朝、雨の中を迎えのタクシーでバス停へ。次に行くホイアンはダナンの南30キロ、ホアイ川河口にある古い港町だ。16,7世紀には日本のご朱印船も行き来して日本人町もあった。爆撃を免れた古い街並みが世界遺産となっている。

ホイアンに行くには通り道のダナンで乗り換えが必要かと思っていたが、直行バスがあった。バスは寝台バスで上下2席、3列の寝床が30個くらい並んでいる。客の8割は若いファランだ。このバスでホーチミンまで24時間で行けるらしい。寝台は狭く足をフルに伸ばせないくらい。この手のバスに乗るのは初めて。バスは超満員になり通路にマットを敷いて寝ている人もでた。ただ冷房がきつく、備え付けの毛布で凌ぐ。

隣で白人の女の子が短パンからスラリと伸びた太腿に寒いぼを作りながら寝ていた。その太腿が我が二の腕に時折密着する。動かしたら誤解されるかなあ、と悩んでいるうちにホイアンに到着した。(続く)