チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

川中島で流れる時間

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川中島で流れる時間

川中島のビーチ
旧鉄道橋でコーン島と結ばれたデット島は、リゾートとしてコーン島より早く発展したらしい。1990年代半ばから欧米のバックパッカーのたまり場となったが、数年前までは電気もなく、まさに秘境の名に相応しい場所だった。GHの数は数十を下らないが、今でも高級リゾートはなく、バンガローの連なる鄙びた島である。デット島にはコーン島にはない利点が2つある。それは西にメコンを臨み夕日を楽しめる立地であること、それに狭いながらも砂浜のビーチがあることだ。ビーチにはビキニのパツキン女性で一杯という。運が良ければトップレスの女性を拝観できたかもしれず、ビーチに行けなかったことは痛恨の極みである。

せいぜい1週間しか休暇が取れない日本人には無理であるが、欧米人のように、夕日を眺めながらビヤラオを飲み、時には読書、ハンモックでうたた寝などして3,4週間という過ごし方がこの島にはふさわしい。納期、締め切り、会議、来客予定、そんなことをすっかり忘れることができるのではないか。

とは言いながら自分たちは前日の午後に到着し、翌日の朝には島を出る、といった慌ただしい訪問であった。事前知識もなかったため見落とした場所も少なくない。ネットで見るとコーン島に2週間ほど滞在した邦人旅行者がいるが、これは例外で普通は2,3日滞在し、見るべきものは全部見て、次の訪問地、シェムリアップビエンチャン、ルアンプラバン、あるいはバンコク方面へと出ていくようだ。

■ナカサン国際バスターミナル
コーン島のGHにバスの時刻看板があった。ここで島を結ぶ河岸の港町、ナカサンから出るバスの予約ができる。ナカサンのバスターミナルからパクセまでは2時間ほどで着く。

ナカサンから一気に北ラオスのルアンプラバンまで行くバスがある。午前11時40分に出て、ルアンプラバン着は翌日の午後4時。えーと、約28時間か。自分たちはサナブリ、ビエンチャン、タケーク、パクセと4泊して南ラオスまでたどり着いた。ほぼ4泊分の距離を28時間で走り抜けるわけだ。自分のラオス横断走行は結構厳しいと思っていたが、28時間バス旅行はさらに過酷だろう。

ナカサンから国際バスも走っている。昼前にナカサンを出れば翌日の昼前後にはベトナムのフエ、ダナンに到着。同じくバンコクならば翌日の朝6時に到着。カンボジア国境まではバスで2時間の距離だ。カンボジアの首都プノンペンに行くなら朝8時にナカサンを出てその日の夜7時到着する。

インドシナは陸続きだ。発展の遅れているミャンマー方面にバスで行くことはほとんど不可能であるが、ビエンチャンからバスで中国の雲南省昆明まで行けるし、バンコクから南下してマレーシア、シンガポールに陸路で行ける。川べりのGHのテラスで小型PCかタブレットを操作し、さて次はどこに行こうかな、と考える旅行も悪くない。でもそれにはせめて1週間は川風に吹かれ、ハンモックでゆったりする時間がいるのではないか。

人間失格
GHの本棚に沢木耕太郎の「深夜特急」の他にもう一冊、文庫本があった。太宰治の「人間失格」だ。この本を手に取った時、確か「あ、私に似つかわしい本がありますねえ」と傍らのNさんに呟いた覚えがある。「私たちに似つかわしい……」と言ってしまったのではないか、と後々心配したが、その後、Nさんの自分に対する態度に変化がなかったところを見ると、失言はしなかったようである。

桜桃忌に参加されるようなファンの方には申し訳ないが、自分は太宰治が好きではない。人間失格は暗くて、気が滅入る小説ではなかったかと思う。高校生の時に読んだっきりだから、筋もよく覚えていない。自分が太宰治を好まないのは作品というより彼の生き方が、男らしくなく、どちらかと言えば卑怯で女々しいからだろう。
ここまで書いてきて、確か三島由紀夫が同じことを書いていたことを思い出した。

三島由紀夫は「不道徳教育講座」で太宰治についてこう語っている。
「私は太宰治の様な人間が嫌いだ。あいつは本当の弱虫だ。弱い自分に自惚れていて弱い自分をいじめないでと訴えている。女々しい」。太宰と三島の同質性についてはいくつもの論考があるが、ここでは書かない。

人間失格」をGHに置いて行った人はどう読んだのだろう。読み返す時間も考える時間も十分すぎるほどあったに違いない。読者は多分、20代後半の若い女性、太宰のような悪い男に弄ばれたはての「南ラオ一人旅」ではなかったか。アジアの自然は彼女の心を癒してくれただろうか。

旅に出ると、見たこともない人であっても心の中で出会えるのである。




写真はバス時刻表、出発前に横たわったハンモック、デット島の積み出しクレーン残骸、ナカサンの港