メコン河,船に注目
望遠で同じ位置から
同上、望遠83倍の威力
対岸のラオスでは建設ラッシュ
ホテル食堂のテラスから
ホテルの食堂
常識と思っていても
■自分が基準
日本のいいところはどんなところですか、という質問がよくクオーラに出てくる。安全、公共交通機関が整備されている、食事が美味しい、病気になっても安心、とか答えはいくつもある。自分が答えるとしたら、まずは「日本語が通じることです」を挙げたい。
異国に住むということは、安全でなく、電車、バスはロクに走っておらず、食事は口に合わず、病気になったら命とり、更に言葉が通じない、これらの不便に慣れることである。異文化の中で暮らすのだから、予めある程度は不便、不当なことは覚悟している。覚悟しているということは予測していることだから、仕方ないと思って対応していく。ここは日本でない、外国だと思えば諦めもつくし、その中で小さな幸せを見いだしていくことも可能である。例えば、バスが定刻通りに着いた、現地食で美味しいものを見つけた、現地語が結構通じた、などである。
でも日本で生まれ、日本で育ち、日本で学び、働いてきたということは日本の常識に染まっているということでもある。人間、誰でも自分を基準にして考えている。昔、英語のできる人と仕事をしていた。彼が外人とペラペラと喋ってお互い大笑い「ね、中西さん、わかったでしょ?」、ワカンネーヨ。自分が理解できることは他人も理解できるものと思い込んでいるらしい。肥満体の奥さんの家の食卓には大量のおかずが並ぶ。自分の食べる量を基準としているからだ。我々、全共闘世代には自分を基準として若い人に「なんだ―、こんなこともわからないのか―」と怒る人がいる。こういう人は外国で暮らすことは難しいような気がする。
■思い込みが糾される
異国住まいである。だから日本が世界標準でない、自分の思考方法、振舞いが相手に受け入れられるとは限らない、と身構えているつもりである。でも無意識のうちに足払いを食わされて1本とられたような気になることがある。
例えば清涼飲料水を1本買う場合と2ダース入りのケースで買う場合、日本なら1本当たりの価格は大量に買った方が安い(ことが多い)。無意識のうちにそれが常識となっていた。ところがタイではケース入り2ダースのビールと1缶のビールでは1缶で買う方が安いことがある。まとめ買いが高くつくのだ。
兄がビールを買いに行った。缶ビール半ダースは特売であるが、2ダースケースは通常価格のため1本当たりの価格が高くなっていた。この時、珍しいことではあるが、レジのお姉さんが「2ダースだと高くなりますよ」と言って2ダースケースを4つにハサミで切り分けて特売価格にしてくれたそうだ。普通は黙って表示価格通り、お客の都合は考えない。
スーパーの特売で調味料が値引きになっていることがある。ところが同じ調味料が売り場によって特売前の価格となっている。全く同じ商品であっても値段が違う。経済学では「一物一価」というではないかといっても始まらない。
大量に買うと高くつく、同じ店の同じ商品でも売り場によって値段が違う、には驚いたが、工夫により安く買えればそれなりに嬉しく、少し異文化に慣れたような気になる。
■水1本でも
スワンナプーム国際空港にある自販機の600ML入りペットボトルは20バーツだが、食堂街にあるコンビニでは45B、エビアンなら100Bだ。たかが水1本に400円? ところが地下1階にあるコンビニでは45Bのボトルが7B(30円弱)とチェンライ価格で販売されている。必要もないのに思わず1本衝動買いしてしまったくらいだ。
以前はチェンライの食堂では水と氷は無料で、プラスチック製の2L入り容器がテーブルにドンと置いてあった。最近は無料を改め、ペットボトルの水を置く食堂も多くなった。1本10Bである。チェンマイでも10B、これが普通だと思っていたが、フアヒンの食堂では1本20B だった。さすがリゾート、物価が違う。チェンライなら40Bのカウパット(チャーハン)が60から80B、概ね、こんな値段だろうと思っていても裏切られる。日本なら、ラーメンの価格帯は地方によってもあまり変わりがないのではないだろうか。
チェンマイにLSしているご夫婦がプーケットに遊びに行って、あまりの物価の高さにビックリ仰天、すぐにチェンマイに舞い戻ったという話を聞いた。日本の平準化された物価に慣れていると、タイはおかしいよ、といいたくなるが、おかしいのは自分の方だ。
年収が1000万以上ある人は海外どこでも暮らせますという記事があった。確かに些細な物価の違いに違和感を覚え、時にはイラつくようでは異国で暮らせない。「恒産無くして恒心無し」はロングステイにも言えるということか。