チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

起業論の口演

イメージ 1

日本センターで起業論の口演

日本センターは正式名称を「ウズベキスタン・日本人材開発センター」という。JICAとウズベキスタン対外経済関係・投資・貿易省との共同プロジェクトのNPO法人。日本の経済発展の経験を生かしたウズベク人材の育成および両国の文化、人的交流の強化、発展の促進を目的としている。特定の人々ではなく、民間ビジネス関係者、官僚、学生、児童、一般市民を対象としたセミナーやプログラムを幅広く展開し、日本人とウズベク人、ウズベク人同士に相互交流の場を提供している。「大使と語ろう」の連続講演会、日本語弁論大会、折り紙コンテストなどの相互理解促進事業の他、日本語教育、障害者へのIT教育など幅広い活動を行っている。

活動のひとつにビジネスコースというものがある。MBAタイプの基礎科目を5ヶ月の集中講義で教え込む。授業料は300ドルとこちらの物価からいったら決して安くはない。しかし、ウズベクの大学や大学院と違って入学試験にワイロもコネも効かないというのでフェアだ、コース修了者は実力がつく、と高い評価を得るようになって来た。コースを終了した人たちのフォローアップサービスで時折、勉強会がある。テーマをきめて講師の講演と質疑応答をおこなう。

日本センターのプログラム担当者Mさんとシャシリークを齧りながら飲んでいたら、フォローアップコースで80分、何か話をしてくれないか、と頼まれた。まだカレッジで授業はしていないが、売れない芸者と同じで、お座敷さえかかればどこへ出向いてでも三味線弾くのがシニアボランティアの勤めである。講演とはおこがましく、自分のしゃべることは口演に過ぎないが、喜んで、と応じた。

マスターを出た人が中心だから、英語でしゃべればいいのだろうと思っていたが、ロシア語の通訳が必要という。これを聞いて通訳のベク君が「私、ロシア語通訳やります。日本センターのビジネスコースは授業料が高くて行きたくても行けませんでした。これでもしかしたら日本センターにコネができるかも」と大いに張り切ってくれた。

一応、演題は「起業とその環境」ということにした。実は日本センターの秋から始まるビジネスコースの夜間部で起業論を何時間か持たせてもらうことになっているが、今回は単発である。余りひどい内容だともう来なくてもいいですといわれる恐れがあるので、準備には時間をかけた。パワーポイントで20枚ほどのスライドを作り、その英語版を造る。それをベク君がロシア語に直していく。聴衆のレベルがよくわからないので、余り難しいことはいわず、お話として聞き流せるようにした。

当日は30人ほどのウズベク人に混じって、シニアボランティアの仲間が4人も応援に来てくれた。大変心強い。

コロンブス西インド諸島発見の冒険談をベンチャーとして説明し、航海の費用を負担したカスチリア王国のイザベラ女王を世界初のベンチャーキャピタルと紹介する。これは多くの教科書に書かれているエピソードだ。サンタフェ協約でイザベラは航海から上がる収益の10分の9を国庫に入れることを取り決めた。この9割条項は、後の新大陸征服者たちに引き継がれ、新大陸から流れ込んだ金、銀はイスパニア300年の栄光を支えた。セコイアキャピタルがヤフーに投資し、1株20セントで買った株が上場後、100ドルに跳ね上がったがそれどころではない、正に歴史的スーパーディールといえる。

このような紙芝居みたいな話ばかりだといけないと思い、起業にあたっての心構え、つまりミッション、ビジョンの重要性について少し話をする。80分授業とはいえ、ベク君のロシア語通訳がつくので実質40分だ。時間が少ないので板書きをすべきところをはしょってしまった。そのため少し判りにくかったかなと反省している

いくつか笑いを取るところでは笑ってもらえたが、慣れないせいか長時間のしゃべりはかなりの負担で疲れを感じた。75分で一応終わり、フロアからの質問を待ったが、ウズベク人は謙虚なのか、こちらの話がいまいちだったのか質問は出なかった。こんな調子では秋からの授業が思いやられる。