チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

通訳解任!??

イメージ 1

イメージ 2

通訳を代えました。

最近、ナボイやカラカルパクなど旅行のレポートが多かったせいか、たまに会うJICA関係者に「中西さん、また旅行ですか」と冷やされる。遊んでばかり、と思われて心外千万、サルミッシュだって学校の休みを利用した実質半日の旅行だったのに・・・・・。
いえ、最近はまじめに学校に通い、勉強をしています、と答えるのだが額面どおりに受けとめてもらえないようだ。そこでここ2,3回、いつもの配信メールに比較的まじめな経済、国際関係に関するレポートを書いてみた。友人からお前の書くことは難しくて読む気がしない、とまた苦情を言われることは承知しているのだが・・・

でも、この暑いさなか、毎日学校へ通っているのは事実である。アパートで朝からゴロゴロ、でもないが出かけずにパソコンの前に座っていると、何となく失業者になったようで落ち着かない。30数年のサラリーマンの悲しいサガというべきか、とにかく朝、アイロンのかかったワイシャツに着替えて出かけないことには真っ当な生活を送っていないような罪悪感にとらわれる。

実は6月に通訳を代えた。これまでの通訳、ベクムロード君とはまずまずの関係でやってきたが、何分にも彼も同じ学校の英語教師であるから忙しい。こちらが授業内容の説明を始めると、「すみません、私の授業が始まります」と席を立つ。自分の通訳、資料の翻訳、授業に関する一切の事務作業のほかに自分の授業があり、更に課外では進学する生徒の家庭教師をこなし、その合間には世界経済外交大学の大学院に通い、ジャーナリズムを専攻している。家庭教師も間に合わないと、自分が帰ったあと研究室で教えていることもある。

9月から新学期であるが次年度の授業では他の先生の授業を参観したり、また起業論を教えている先生方との協力関係も作りたい、そうするとこんなに忙しいベク君では問題がある。ここ一年、通訳をしていたから、次年度の授業に少々の難があっても彼ならカバーしてくれるだろうという便利さはあったが、ここで心機一転、新しい通訳で、こちらも勉強しなおすことにした。

いろいろツテを頼って、世界外交経済大学の大学院を今年卒業する才媛、ナフォサット嬢(写真、隣は学長)に来年の3月まで10ヶ月の業務をお願いすることにした。就職難のウズベクでは、大学院を卒業してもおいそれとはいい仕事が見つからないらしい。外務省で翻訳のアルバイトをしていましたというだけあって、自分よりずっと英語がうまい。一応面接では、通訳というものはこちらの言ったことをそのまま訳すのではなくて、その人が何を言いたいのか、その心中を推し量って、訳さなければならないのです、例えばここにマルと三角を突き刺した棒の絵があります。これを前後の話の中で、ア、この絵はウ国と日本の経済関係の現状を指し示している、とか起業におけるベンチャーと投資家の考え方の違いを表している、と即座に想像力を働かして、訳していかねばならない、出来ますか?

わかりました、頑張ってやってみます,とのこと。普通、ウズベク人だったら、大丈夫、問題ありませんと答えるところだが、努力してみますという態度が大変よろしい。

というわけで、6月からベンチャーの基本、授業のスタンス、他の先生との内容の違い、授業の目的などを懇切丁寧に話したあと、とりあえず、今年の授業を彼女の前でやってみることにした。もしわからない、あるいは生徒に理解できないようなことがあればすぐ質問すること、通訳がわからなければ生徒がわかるわけはない。

いくら妙齢の女性相手であっても2時間も英語で話し続けると、ぐったり消耗するのであるが、雑談を交えながらここ1月、楽しく教師と生徒を演じている。

彼女の最初の仕事は先日の「赤丸卒業式」における自分のスピーチの通訳であったが、淀みなく落ち着いて逐語通訳してくれたし、終わったらみんな拍手してくれたから好かったのではないかと思う。

なお、前の通訳ベクムロード君は今年度で学校を辞めて外務省の広報部に勤務することが決まった。将来は大使になりたいと言っていたから、いい転職だったのではないかと思う。でも給料は安いですから、家庭教師は続けないと、と2足のわらじは当面続けるようだ。