チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

手足を縛って泳げというのか

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手足を縛って泳げというのか

 

■感染、感染、

仕方のないことながら、ニュースは武漢肺炎一色になっている。カルロス・ゴーンの逃亡劇、イランと米国の確執、原油価格の低迷、海上自衛隊のホルムズ海峡派遣、拉致家族問題などすべて武漢肺炎問題の陰に隠れてしまった。戦時応募工問題は日本人が韓国に対する興味を失ったので、どっちみちうニュースにならないが。

不要不急の外出と三密を避ける、手を洗う、うがいをする、このあたりは東京在住の善良な市民として守っているつもりだ。7日に安倍首相より非常事態宣言が出たから、さらに一般市民に対する要請が強くなるのだろう。それに応じて過度の同調圧力が高まる。

NHKラジオのMCがこの武漢肺炎の蔓延に関し、「ピンチはチャンス」と発言したため、多くの非難の声がスタジオに届いたという。「死んだ人にはチャンスなんかないんだぞ、死者に謝れ」、「武漢肺炎と戦っている人たちに心無い発言ではないか」、「自分が感染してもそんなことが言えるのか」云々。

当のMC(大越健介氏)は謝罪するとともに真意をリスナーに縷々説明していたが、弁解する必要はなかったと思う。どんな出来事であってもいい面、悪い面はある。円高、円安で損する企業もあれば、収益がよくなる企業もある。多少ひねくれた考えを持つ自分でも武漢肺炎の蔓延は良くないことだと思う。でも悪いことが起こればそれをばねにして、よき未来を切り拓く。これは真っ当な人の考え方であって、不運を嘆き、他者を非難するだけでは何も解決しない。周囲を暗くし、自分は鬱病になってしまうだけだ。


サプライチェーンの見直し
ユーチューブに登場するコメンテータの中には「ピンチをチャンスに」と呼びかける人は少なくない。マスクが手に入りにくいのは世界の医療用マスク生産量の85%を占める中国品からの輸入が細っているからという。人工呼吸器を増産しようにも部品が中国製のため、増産にストップがかかる。

また多くの医薬品が中国製の原料に依存している。米食品医薬品局(FDA)は27日、ウイルス流行の影響が及んだ地域から原料を調達できず、不足している医薬品が出ていると明らかにしている。こういった状況から中国に生産を委ねる危険を世界が思い知った、ということになる。中国から逃げ出す企業には日本政府から助成金が出ることになった。自国、あるいは友好国の中にサプライチェーンを作る動きが加速するだろう。国内生産に切り替えれば、就労者が増え、国民総生産が上がる。これはピンチをチャンスに変える一つの例ではないか。安く作れればいいってもんじゃないよ。

死んだ母はよく「安物買いの銭失い」と言っていた。親の忠告と冷酒はあとから効く。中国に雪崩を打って進出し、それを後押しした財界、政府は。この忠告をよく聞いてほしい。経済的メリットを追求するあまり、国民の生命、安全を守るという国家の原点を失いかねない。そういった危険を武漢肺炎は教えてくれた。

 

■リーダーシップを求めるなら
武漢肺炎との戦いを「戦争「と捉えている国は米国をはじめ多く存在する。戦争遂行のためには政府に強権の付与を認める、が民主主義国の常である。日本の野党、マスコミは安倍政権に強いリーダーシップを求めながら、一方では私権を重視せよという。これは人を縄で雁字搦めに縛っておいて、さあ、泳げというに等しい。

こんな時でも中国は海自護衛艦しまかぜに漁船をぶつけてきた。沖縄県尖閣諸島周辺をカバーする南西航空方面隊の緊急発進は空自の全体の過半、年間500回を数える。3月20日には中国海警局の船4隻がおよそ2時間にわたって日本の領海に侵入した。領海侵入は今年に入って5回目である。

経済的、政治的苦境を打開し、国民の不満をそらすために中国が、台湾、尖閣で軍事的挑発、あるいは軍事行動を起こすと警告する軍事評論家は少なくない。

武漢肺炎との戦争には日本国民は政府に私権を越える強制力を与えなかった。武力を伴う戦争が起こっても、しょぼい権力委譲しか認めないのであろうか。それともしっかりと「要請」すれば相手国は素直に聞いてくれるというのであろうか。

可愛そうなのは手足を縛られて泳がされる自衛隊の皆さんだ。武漢肺炎を機に改憲論争が進むことを祈ってやまない。ピンチをチャンスに、とはこういうことを言う。大越さんにもこう言ってほしかったが、NHKに勤めているのでは無理だろうなあ。

 

危機感の差

危機感の差

 

■日本の春を満喫

家にはテレビがないから、情報収集はネットかラジオから。ネットのニュース解説はチェンライで視聴していたものばかり、タイでも日本でもやっていることは変わらない。

家の隣は小公園なっていて、満開だったソメイヨシノの花びらが風に舞って、開け放した窓から室内に入り込む。掃除機をかけるのがもったいない気がしてはなびらはそのままになっている。青空にはらはらと散る桜を見るのは何年ぶりか。

 

チェンライは今、暑季、気温は40度近い。 空気中の微粒子を測るPM2.5の指標は健康に危険のレベルをはるかに越えた350、太陽が赤く見える。チェンライの暮らしも悪くはないが、4月は、やはり麗らかに空気の澄んだ日本に軍配が上がる。

パソコンなどほおって、桜吹雪のシャワーを浴びに目黒川の岸べに行きたいところであるが、都から外出自粛の要請が出ている。2,3日前、桜が満開だった目黒川を3時間散歩したからまあいいか。写真も何十枚も撮った。さすがに酒盛りをしていた人はいなかったが、カップルや子供連れのお母さんなどが頭上を見上げながらのんびりと歩いていた。

 

■全土封鎖

タイでは全土に夜間外出禁止令が出された。違反者は逮捕され、2年未満の禁固、4万バーツの罰金刑に処せられる。国際便は勿論、国内便、長距離バスは軒並み運休となっており、県境を越えることもままならない。全土封鎖だ。

4月4日午前の発表では感染者は2067人、死者は20人となっている。強硬手段を取ったせいか、1日の新たな感染者数は2桁に落ちた。

 

日本でも早く「非常事態宣言」を出せ、政府はリーダーシップを示せ、とマスコミ、野党は安倍批判に躍起であるが、タイのような独裁国家と違って、実効を伴う強権発動はできない。極端かもしれないがフィリピンでは夜間外出禁止を守らなかった60代の男性が警官に射殺されている。ドゥテルテ大統領のリーダーシップが顕われているが、野党の望むリーダーシップとは何だろうか。

 

以下は4月4日付産経抄、自分の言いたいことを簡潔に述べてくれているので引用したい。

(引用開始)

 新型コロナウイルスの感染者が、世界全体で100万人を超えた。死者も5万人以上に上るが、収束・終息の見通しは立たない。われわれは今、間違いなく歴史に残る災禍のただ中にいる。にもかかわらず国会の危機意識のあまりの希薄さに空恐ろしさを覚える。

 ▼国会質疑では、安倍晋三首相が改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言をいつ出すのかに焦点が当てられている。私権制限につながるとの懸念が出ているが、実はできることは限定的で、政府内には「宣言しても何も変わらない」(首相周辺)との見方もある。

 ▼感染症対策で最も効果的なのは人の移動制限だとされる。ところが、特措法でできるのは「みだりに外出しない」などの「要請」にすぎず、現状でもやっていることである。諸外国の同様の宣言とは名称が似ているだけで中身はまるで異なる。

 ▼もちろん、宣言には一定の引き締め効果はあろうが、根本的な解決策はとれない。なぜそうなのか。やはり憲法に、緊急事態条項がないからだろう。長島昭久元防衛副大臣は1日、ツイッターに記した。「一時的にせよ私権を制約する立法を可能とするには憲法に根拠規定がなければならない」。

 ▼賛否は分かれるにしろ当然、衆参両院の憲法審査会で議論されるべきテーマである。ところがなんと今国会では、審査会も審査会開催の日程などを協議する幹事懇談会も一度も開かれていない。立憲民主党など野党が反対するためだが、その理由には開いた口がふさがらない。

 ▼「コロナ対策があるので応じられない」。コロナ禍に有効な手立てを打つための議論は、コロナ禍が収まるまではしないと真顔で主張する。こんな連中を古来、税金泥棒と呼ぶのである。(引用終わり)

 

■誰がどうやって

日本国民の命を守るのは公正と信義を重んじ、平和を愛する諸国民でも米国でも中国でもない。日本政府だけが日本国民を守ることできる。それなのに国民の生命、財産、安全が脅かされていても、政府は法体系からして確固たる手段が取れない。野党は共同体が崩れても個人の私権を守るべきだという。憲法あって国滅ぶ。

武漢肺炎は数々の災厄をもたらしたが、一つだけでも良いことがあるとしたら、誰がどうやって国を守るのか、そのためには何をしなければならないか、という問いを我々にぶつけてきたことだと思う。タイの批判をすることがあるけれど、タイの方が官民一丸となって武漢肺炎と戦っているように思う。

 

 

 

独居老人

独居老人

 

■家事は10年ぶり

ここ10年、東京の家には旅行者として短期滞在をしたことはあるが、1月を越える生活者としての長期滞在は初めてである。

掃除、洗濯、買い物、料理、昔取った杵柄で家事に勤しんでいる。茶碗や皿を流しにおいておくと、朝になってもそのままになっている。チェンライだったら、ニイさんが来てすっかりきれいにしてくれるのにな、と女中さんの有難さを改めて感じる。

国立社会保障・人口問題研究所によると、2020年で全所帯数のうち、65歳以上の単独世帯(世帯主が一人の世帯)は30%、700万所帯となっている。自分と同じような独居老人はこれからも増え、22035年には世帯主が65歳以上の高齢世帯のうち、一人暮らしが4割近くになる。

一人暮らしだと人と話す機会が減る。内閣府の調査によると単独世帯の高齢者のうち、他者との会話が「ほとんどない」と回答した人の割合は70%に上る。

内閣府平成27年度 第8回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査結果https://www8.cao.go.jp/kourei/ishiki/h27/zentai/index.htm

 

自分の場合、電話以外の会話と言えば、先週、明治神宮を散策していた折、見知らぬ老婦人に、話しかけられた。「鳥はいましたか」、「ええ、いましたよ」、「代々木方面にはカラスが一杯よ」、「そうですか、ありがとう」。ここ2週間の会話はこれだけである。ニコンPC900、大きなカメラをぶら下げていたので野鳥観察と間違われたらしい。参道を挟んで二人の距離は数mあったから、武漢肺炎感染のリスクはなかったと思う。

後はスーパーで「ポイントカードはお持ちですか」と聞かれるが、手を振るだけなので会話はない。

 

■咳をしても一人

時節柄、不要不急の外出は控えている。南国から来ているから、最近の寒さが一入身に堪える。桜の写真を撮りに目黒川に行こうかな、という気もこの寒さと雨では萎える。自分の外出は「不要不急」に当たるから、ひっそりとパソコン相手に過ごしている。気が付いてみると何時間も言葉を発してないてことに気づく。

 

咳をしても一人、は。孤高の俳人、放哉の句だったと思う。今は非常時、「咳をしたらコロナ」のご時世である。昨今、電車の中や人込みではマスクをしている人が8割はいる。マスクは感染予防には役立たないと専門家は言っているし、小池都知事の要請を容れて、バー、クラブ、カラオケなど、密集、密閉、唾が飛ぶという「三密」には出入りしていないので、自分はマスクは使用していない。それだけに人のいるところではくしゃみや咳には注意している。

 

日本に帰国したのは4週間前になるが、万が一、発症したら「タイから帰国した70代の老人が陽性と判定されました。当人の滞在した関西、佐世保、東京各地での足取りを調査しています」くらいのことは報道され、関係者に迷惑をかけるだろう。

マスクに感染防止の効果がないことは、多くの人は先刻ご承知と思う。でも、もしかして自分が感染している場合のことを考えて、エチケットとしてマスクをしているのだろう。他者に迷惑を掛けてはいけない、そういった思いやりの気持ちが高マスク率に表れていると思う。

 

■チェンライの様子

チェンライやチェンマイの邦人ブログを見ると「感染者日本人第一号にはなりたくないね」が合言葉という。まだタイ北部では日本人の感染は報告されていない。バンコクでは邦人男性が1名感染している。日本旅行から帰国したタイ人の嫁さんの母親が感染者だったため、一家感染したとか。

タイでは4月1日現在、武漢肺炎の累計感染者数は1771名、同死者数は二桁、12名となっているがチェンマイ、チェンライ県では死者数はゼロ、感染者数もそれぞれ34名、9名と多くはない。

チェンライでは飲食店、バーなどが軒並み休業、街行く人もほぼ全員マスクと危機感が高まっているという。あれだけ多発する交通事故には無頓着なのに、病気とピー〈おばけ)を異常に怖がるのは理解できないという人もいるが、見えないものへの恐れはタイ人特有と思う。

台湾旅行から2週間以上経って、兄はタイ語のジアップ先生のもとへ行ったが、先生はマスク姿で2m以上離れて座り、プリントの手渡しも無し。授業が終わるとすぐに兄の座っていた場所をアルコール噴霧器でシューシューと消毒し始めたそうだ。

正しく怖がるよりも、人間関係にひびが入っても念には念を入れて感染予防に努めるほうがいいのか、自分には判断はつきかねる。それにつけてもいつチェンライに戻れるのだろうか。

鎖国の連鎖

鎖国の連鎖

 

■外出禁止令

ここ10日の武漢肺炎をめぐる各国の動きは慌ただしい。タイではミャンマーラオスカンボジアなど隣接する諸国の国境を閉じたかと思うと、26日に非常事態宣言を出して、外国人の入国を禁じてしまった。事実上の鎖国である。

タイ国中でタイ正月、4月のソンクランの水かけは中止になった。日本に置き換えてみれば、正月の初詣でが一律禁止されたに等しい

3月28日現在でタイの武漢肺炎による死者は6名であるが、感染者は1245名と加速度的に増えている。と日本の感染者数を追い越すのは時間の問題だろう。

 

チェンライにいる兄の話だと、先週末テニスをしていたら、兵士の一団がやってきて、テニスを中止し帰宅するようにと命じたという。警察でなく、軍隊が出てくるのがすごい。車で運動場を出ると同時に正門が閉じられたとか。

県外への移動、老人の外出、集会等が禁止されている。チェンライのホテルでパーティを開いていた一団が警察に逮捕された、との報道もあった。ビヤバー、レストランは休業、旅行は勿論、テニスも宴会もできないのでは何のためにチェンライにいるのか、という邦人のボヤキも聞こえてくる。

 

■東京のようす

この土日、東京には外出自粛要請は出ているものの、昨日の土曜に外出してみたところ、公園では親子が遊んでいたし、スーパーにも豊富に品物が並んで普通に買い物客がいた。日曜は季節外れの雪が積もり、寒くて頼まれても外出したくなかったから、外の様子はわからない。

チェンライの友人が、安倍首相の国民に対する呼びかけを聞いたが、優柔不断でまどっころしい、と言ってきた。でも日本は法治国家だから法律がなければ首相といえども何もできない。例えば外出禁止を宣言し、違反者をしょっ引くことは、今のところ法律上できない。小池都知事が「東京封鎖」の可能性に言及したが、残念ながら都にはその権限がない。

 

■英国ジョンソン首相の演説

3月23日、武漢肺炎戦戦略として英国は全土封鎖に踏み切った。その時のジョンソン首相の国民向け演説。以下引用。

演説の要点は次の5点である。

1. 食料品など生活必需品以外の店はすべて閉鎖、
2. 市民は食料品・薬等の買い物・散歩など1日1度の運動のときだけ外出可
3. 通勤が必須であるごく一部の例外を除き自宅勤務
4. 公共の場での二人以上のいかなる集会も禁止、結婚式・宗教集会などいかなるイベントも禁止
5. これらを守らない場合は警察による罰金や介入がありえる。

・外食産業は、店舗には入らない形での持ち帰り用販売のみ許可する。これに伴い、多くのレストラン、カフェやファスト・フードは閉鎖した。

・ロンドンの多くの地下鉄の駅も閉鎖された。地下鉄はこれらの駅を飛ばして運転している。つまり、主要駅に警察などによる関所をつくりさえすれば、強制力をもって人の流れを厳密に制御できる準備は整っている。

・27日現在のところは、フランスなどがとる警察権力による強硬な対応ではなく、自粛に依存した体制をとっている。

・4ヶ月間にわたる高齢者の完全な外出禁止を準備。ウーバーなどを利用して、無料で食事を届ける。
ーーーーー
・オリンピックに使用されたイベント会場ExCeLが「NHSナイチンゲール」という巨大な野戦病院になる。4000の病床、500の人工呼吸器と、2つの遺体安置室を設置する。

バーミンガムでは空港に1500体分の仮設遺体収容所、12000体まで拡張可能で、空港の隣のイベントセンターを野戦病院として使用予定。

 

■戦後74年のツケ

タイは軍事独裁の国だから、プラユット首相が決めればその通り実行される。でも民主国家である英国がこのような強硬策を取るとは思わなかった。それだけ危機感が高いということだろう。

日本政府も「専門家の意見を聞きながら」武漢肺炎対抗策を考えていると思うが、英国並みの強硬策をとれるだろうか。安倍首相が非常事態宣言を出したとしても、タイや英国から見れば、「生ぬるい」対策となるだろう。友人の指摘した「優柔不断さ」は安倍政権に付きまとうに違いない。これは国家の非常時であっても指導力を発揮させてはならないという平和憲法と関係があると思うのだが、この件については別の機会に。

優柔不断に見えても政府の要請や指示に、節度を持って従う日本国民の民度に一縷の望みを託したいと思う。

タイに戻れない

 

タイに戻れない

 

■帰国中
このところ、ウズベクで書いた原稿を再掲している。御察しのいい方はお分かりと思うが、現在、旅行中、タイを出て日本に一時帰国している。

3月23日にタイに戻る予定であったが、タイ政府が実質上日本人の入国を禁止してしまったため、よんどころなく、東京、品川区の家に滞在している。
もしかして、と成田空港に行ってみたが、コロナ陰性英文証明書など必要書類がないため、搭乗を断られた。LCCのノックスクート航空であったが、搭乗できるのはタイ人のみ、それも書類不備で乗機できない人もいるとか。マスクをしたチェックインカウンターの女性は「私たちも仕事なくなってしまうんですよー」と嘆いていた。空港は閑散としていた。

なんで、こんな時期に帰国したかというと、それには訳がある。昨年、12月に娘が出産した。生まれたらぜひ見に来てねと頼まれていた。
また三男にも今年の2月に男児ができた。一方だけ見て帰ると問題だ。それで昨年10月の段階で、娘の住む佐世保、そして次男夫婦のいる東京と回って帰るチケットを手配した。もちろんその時は武漢肺炎の騒動はなかった。

2月末あたりから航空便が怪しくなってきて、チェンマイ台北間は問題なかったが、台北ー福岡の便が休便になった。返金するからご免、まあLCCだから仕方ない。台北関空関空ー長崎のチケットに変更した。台北から関空までが6,500円、関空から長崎までの航空券が1万円という値段にはちょっと違和感を覚えたが。

佐世保に1週間、東京も1週間の旅程であったが、3月中旬から武漢肺炎は世界で猖獗を極め、タイでも感染者数が3桁にのぼり、死者も出た。
危機感を強めたタイ政府はバンコクの事実上の封鎖、感染国からの入国を禁止した。なんせ日本と違って独裁国だからやることが早い。


■蟄居閉門
というわけでいつタイに戻れるかわからない。
考えようによっては桜が満開となり、若葉が萌え出すいい季節である。2008年の3月にウズベクから帰国して以来、12年ぶりの桜である。タイに移り住んで,桜の季節に帰国したことがない。

3連休の1日、靖国神社に参拝した。遊就館は休館していたが、神社内の桜の美しさに息をのむほど感動した。やはり日本はいいなあ。

しばらくは戻れないだろうから、東北にでも行ってみようかと思ったが、東京封鎖もありうる、と小池都知事が警告している。東京を出たら戻れなくなる可能性もある。
まさに非常時、65歳以上は外出禁止という国もある。自分勝手な行動で感染でもしたら、多くの人に迷惑をかける。

感染は罪でない、と山梨県知事は言ったが、罪ではなくても罰を受ける。飲食店なら14日も休んだらつぶれてしまうし、雑居ビルの会社なら、ビル全体が消毒、他社の従業員に多大の迷惑をかける。業種によっては客先に出入り禁止となって多大の損失が出る。多くの人は自分の健康状態より、他者に迷惑をかけてはいけない、そういった危機意識とともに働いているのだろう。

呑気に旅に出ようかなどという自分の不明を恥じるばかりである。お目にかかりたい友人、知人は少なくないが、時節柄、声を掛けることもはばかられる。


■ブログ休載
この原稿は兄のPCを借用して書いているが、使い勝手が悪いうえに、どうやって写真をアップしていいかわからない。台北には1泊し、観光客の途絶えた故宮博物院で満足のいくまで美術品の写真を撮ってきたのに残念だ。桜の写真もまるで外人観光客のごとくぱちぱちと撮りまくっている。いい写真もあると思うがPCでうまく再生できない。ソフトの入れ方もわからない。


写真どころか文章のアップもおぼつかないので、チェンライに戻るまで、メール配信、ブログのアップを休止させて頂こうと思っている。久し振りの日本は清潔で、秩序が取れていて、民度は高く、食べるものは何でもおいしい。なんて素晴らしい国に生を受けたのか、という喜びを感じる。タイも好きだから住んでいるのであるが、母国の良さは外国に住んでいるからこそ実感できるものが多々ある。刺激を受けることの多い日々である。望んだことではないが、武漢肺炎のおかげで与えらえれた時間をゆっくりと過ごしたいと思う。

 

日本人墓地

 

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タシケントの日本人墓地

 

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ゆりかご、右がスルタノフ氏

 

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抑留者の描いたスケッチ


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カガンの日本人墓地

 

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抑留者の建設したナボイ劇場

 

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イチャンカラ

 

日本人墓地

2006年8月にアップした「日本人墓地」を加筆の上再録します

タシケント日本人墓地にお参り
戦後、スターリンの強制連行で60万人にも及ぶ日本人がシベリアに抑留され、6万人の尊い生命が失われたことは、日本人として決して忘れることのできない事実だ。そのうち、2万3千人の抑留者がウズベキスタンで強制労働に従事し、817名の日本の若者がウ国で帰らぬ人となっている。死亡率が低かったのは、気候がシベリアに比べて多少、よかったこと、シベリアで1年余りを過ごした抑留者のうち、若くて過酷な労働に耐えられそうな健康な若者を選抜してウズベクやカザフの中央アジアに送ったから、ということもある。

8月15日の終戦の日、日本センターからバスが出てタシケントの日本人墓地に行った。総勢十数名、お父さんが抑留者としてタシケントにいたというシニアボランティアのSさんも来ていた。ウズベク人墓地の一角にある日本人抑留者墓地はきれいに清掃されていて、日本から送られた桜の若木が風にそよいでいた。
日本センターのI 所長が千羽鶴や途中で買ってきた花を、79名の死亡者名簿の刻まれた「不戦の誓い」の碑に飾る。更に純米日本酒を惜しげもなく碑に降り注いだので、あたりになんともいえない芳香が漂った。おー、もったいない、直会(なおらい)で、こちらにも味あわせてもらうほうが供養になるのではないか、と不埒な考えが頭を掠める。ちゃんと線香が用意されていて参加者一同、数本ずつ線香を手向ける。湿度が低いのでライターの火がすぐ線香に燃え移る。線香は大使館から拝領してきたものである。大使館には我ら邦人のために必要と思われる冠婚葬祭用品がすべて用意されているそうだ。

タシケントから駆けつけた邦人も含め、20数名で黙祷をささげ、墓参りと平和祈願のセレモニーは終わった。

親日家の個人資料館
黙祷を捧げる人の中にジャリル・スルタノフさんがいた。彼は今は退職している電気技師だ。仕事柄、日本人抑留者が作った発電所や高圧電線の鉄塔を見て日本人に興味を持った。彼は敬虔なイスラム教徒であり、コーランの「神が人間を作り、その起源は同じ」という教えから日本人を更に理解したいと思い、当時の記録、資料を個人的に集め始めた。そしてウ国各地に散らばる日本人墓地、建設された工場、発電所、学校をたずね、当時を知る人からの聞き取り調査を行った。明るく、努力を惜しまず勤勉で、手先の器用だった日本人抑留者に感謝し、懐かしい感情を持っている人にどこででも出会った。外国のためにこんなに頑丈できれいな建物を建ててくれたと、今もそこに住む人が感謝の言葉を述べる。

そういった聞き取りや当時のウズベク人が抑留者からプレゼントされた品物をもとに、スルタノフさんは日本人墓地を出たところに「1940年代ウズベキスタンで生活した日本人の記録展示場」という個人資料館を開いた。「捕虜」とか「抑留者」という言葉を避けているところに彼の気持が感じられる。館内は8畳ほどの部屋2つのこじんまりしたものだが、中にはウズベク人の日本人抑留者に対する思い出がぎっしりと詰まっている。工事で立ち退きになる家の人に同情して、抑留者が作ってくれたゆりかごがある。寄贈してくれたウズベク人は55年間、子供も孫もこれに揺られて育ちました、という。木製のゆりかごは60年を経ても、軋みひとつなく、優しく揺れる。民族衣装を着た女性をスケッチした木版画もある。プロの画家が抑留されていたのだろう。

■政府の命令に反し
1955年にはソ連政府から日本人墓地を取り壊して整地するようにとの命令が出たが、ウ国の人は取り壊さず、場所によっては清掃、維持に努めてくれた。1995年にはアンディジャン、アングレン、チルチク、コーカンド、フェルガナなど13箇所に散在する日本人墓地からそこの土がタシケントの墓地に集められ、総合的な鎮魂碑が建てられた。碑の周りと墓地は毎日、清掃が続けられている。誰に頼まれたわけでもなくずっと日本人墓地の清掃を行ってきたウ国人親子の話は中山恭子元大使の「ウズベキスタンの桜」の中に詳しい。

スルタノフさんの淡々とした説明は、お父さんがタシケントに抑留されていたという在留邦人Oさんの通訳で我々の心に沁みた。ウズベク人と抑留者の交流の話に感動の涙を抑えきれない女性もいた。親日ウズベキスタンの礎は60年前の2万3千名の我々の先輩のおかげで出来上がっていることに改めて感謝した。

なお、スルタノフさんは平成28年秋の叙勲に招聘され、旭日双光章を授与された。また総理官邸に安倍首相を表敬訪問、その席上で首相は日本人抑留者についてのスルタノフ館長のこれまでの取組に対し,感謝の意を表した。遅まきながらも国としてスルタノフさんに報いたと言っていいだろう。

 

 

旅の必需品

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以下、故宮博物館収蔵品、これは清時代の壺

 

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商の時代の青銅器?

 

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この色を出すためには上下50度以内の焼成温度管理が必要とか

 

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龍の爪が3本だから属国への贈答用に使われたらしい

 

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展示室内




旅の必需品

■車と地図
2009年1月にチェンライに来た。到着後2日目に排気量1500ccのホンダのシティを購入した。代金さえ払えばそのまま乗って帰ることができるが、店頭に飾ってあった車だったため、ホンダのほうでチェックして2時間後に納車してくれた。車と同時に手に入れたのがチェンライ県全図である。市内拡大図が裏側に印刷されていたので、ちょっと外へ出るときは重宝した。その後、行動半径が広がるにつれて、北タイ全図、タイ全土の地図を購入した。2010年にラオスを旅行した時はチェンライ空港内の書店にラオス全図を買いに行った覚えがある。

旅に出るならまず地図、の反応はそれからしばらく続いた。2014年に友人、息子と3人でタイの海浜リゾート、フアヒンに出かけた時もタイ全国地図を見ながら目的地へ走った。でも今時、地図を参照しながらドライブや旅行をする人はする人は稀だろう。ITアプリに弱く、携帯の機能をほとんど使いこなせない自分でも、もう旅行に地図を持参することはない。また道に迷う心配もない。グーグルマップが使えるようになったのはここ1,2年の話であるが、グーグルは旅の歴史を変えた、と思うほどの衝撃だった。

■Gマップに目覚める
昨年1月にミャンマーマンダレーを旅行した。イワラジ河クルーズで偶々乗り合わせた邦人、Aさんは翻訳ソフトで現地語を操り、グーグルで現在地を確認し、グラブでタクシーを呼び、ホテル、航空券のチケット予約を携帯で行っていた。これがあれば世界中どこでも行けますよ。彼の言葉にいたく感心した。携帯があれば何でもできるんだ。それまでパソコンで航空券やホテルの予約をしたことはある。携帯にも機能があることは知っていたが、彼のように使いこなしてはいなかった。
日本を含むアジア各国でWiFiが使えるシムがあるらしい。ラオスではどんなにショボいGHでも一膳飯屋でもWiFiが使えたが、日本ではそうなっていない。今度帰国する時はシムを入れ代えなくては。

今、自分の携帯は使用料月100Bの4ギガのWiFiが入っている。タイ全土で使える。常時接続になったので、長距離ツーリングではグーグルを使用するようになった。例えばチェンライの我が家からパタヤと入力する。すると918キロ、11時間38分という行程と地図上のルートが示される。
フォルツァにUSBポートがあるから、そのまま携帯に差し込む。これでバッテリー上がりの心配はない。一方、ブルートゥースで音を飛ばす。スクータを走らせると、時折イヤホーンからこの先300m左折、とか道なりに、という指令が流れてくる。この指示通りに走れば目的地に行けるわけだ。車のナビを使ったことがなかったので便利なものだなあと感動した。カセットテープで演歌に聞き入っていた世代がCDを飛び越えてUSBからの高音質のジャズを聞くほどの驚きはあった。

■旅行代理店受難の時
台湾各地でタクシーを利用したが、タクシー運転手も携帯をナビとして使っていた。台南では、間違って住所を書き写していたため、運転手さんはホテルに電話をかけて目的場所に連れて行ってくれた。番号検索や翻訳アプリでも携帯が活躍、携帯なしではスムーズな旅はおぼつかない。
台南から金門島に飛ぼうとしたが、直前だったため満席、それで高雄に1泊して高雄から金門島に飛んだ。高雄、金門島のホテル予約も航空券の購入も携帯を使用した。携帯での航空券の購入は初めてのことだったので多少の達成感はあった。

昨年、英国で178年の歴史を持つ旅行代理店、トーマスクックが倒産した。世界で初めてグループ・ツアーを始めた会社である。倒産理由は誠に簡単、自分のような素人が同社と同じようなホテル、切符の予約ができるようになったからという。トーマスクックと同じビジネスモデルの日本の旅行代理店も将来が危ぶまれる。

■旅に必要なもの
日本旅行㈱の「海外旅行の持ち物チェックリスト」https://www.nta.co.jp/kaigai/special/mochimono/ には旅券、航空券、現金、カメラと共に携帯も掲載されているが小型PCはない。会話帳や辞書と並んで、石鹸、タオル、トイレットペーパーなど現地調達可能な品物も掲載されており、些か時代遅れの感がある。
これからは持ち物もさることながら携帯と習得すべきアプリのほうが旅で威力を発揮する。

詳しくは、例えば「海外旅行で役立つ アプリランキングTOP10」https://app-liv.jp/hobbies/traveling/3459/ が参考になる。
先ずは、Google翻訳、次にGoogleマップ、携帯をかざせば即座に翻訳してくれるWorldictionary Lite、 その他、同時通訳が可能なMicrosoft 翻訳、何処にいるかすぐわかるGPS ナビゲーション、為替換算アプリなどの無料アプリが紹介されている。使いこなすか、それとも旅に出る元気が無くなるか、どちらが先に来るか分らないが、技術習得に頑張ってみたい。