チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

通訳、ベクムロード君

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通訳、ベクムロード君

朝、引越し荷物をアパートに運び込んでいるときに、携帯電話が鳴った。「バンク・カレッジの英語の先生です。」と日本語で言って、あとは英語で今日、学校へ来て欲しいという。取り込み中なので一度は断った。でも明日は授業があって会えないとか言う。電話の通信状態があまりよくない上に英語で何用なりやと聞きだすのが億劫になり、なぜ呼び出されたのかわからないまま、その日の午後2時に学校の入り口で待ち合わせることにする。名前はベクムロード。わかったのはこれだけ。学校の案内でもしてくれるのだろうか。

荷物の整理もそこそこに、1500スム(150円)というのを1200スムに値切って白タクに乗る。学校の前に若い男が待っていて、自分がベクムロードと名乗る。昨年からバンク・カレッジで英語の教師をしているという。

研究室に入ると、「学長から紹介されたのだが、自分を通訳として雇ってもらいたい。」と切り出す。サマルカンド外国語大学卒、こちらの大学の上位入学者は国から奨学金が授与されるが、その代わり5年間、政府機関で働く義務がある。自分は政府給費生だったのでそのお礼奉公でこのカレッジで働いていると胸を張る。年は23歳。上の前歯4本が金歯になっていてちょっと異様な感じを受ける。こちらでは金歯は決して格好が悪いものではないらしい。日本では前歯が金歯という若い女性はあまり見かけないが、ウ国では妙齢の女性で前歯から奥歯までキンキラキンの金歯という人も珍しくはない。金歯がお金持ちの象徴なのだろうか。

聞いてみるとベクムロード君は、80分授業を週21コマ持っていて、4月中は忙しいという。5月に入るとテストが始まるのでいくらか暇になるらしい。これで9月から自分の講義の通訳など務まるのか、と心配になったが、「通訳に雇っていただければ、9月から授業をやめるか、時間数を少なくします。」とあっさりしたものである。学校教師より通訳の給料のほうがいいようだ。日本だと教師がほかに仕事を持つことは禁じられているが、こちらでは本業の給料だけでは食べていけないので、アルバイトをするのが普通である。ベクムロード君は学校の仕事が終わると、さらに家庭教師をして稼いでいる。

仕事の内容や拘束時間数を説明する。JICAに外の通訳の契約条件や兼業禁止かどうか、どういった支払い形態になるのか、あるいはJICAで通訳を探してくれているのか等を確認する必要があり、即採用にはせず、いろいろと学校の様子を聞く。学生数は? 先生の人数は? 学生の卒業後の進路は? ところがベクムロード君は何も知らない。英語の授業だけで精一杯なのか。それともニセ教師か。

あとでこちらの小学校で青少年活動に従事している隊員に聞いたら、小学校の教諭でも児童数や教職員の数を把握していないという。教える時間に学校に来て、授業が終わったらさっさと帰る、というのが当たり前のようだ。アルバイト優先ということだろう。

この日、初めて自分の研究室に入ったのだが、横3メートル、縦7メートルほどの部屋に幅70センチ、縦150センチほどの机が置かれている。その机にT字型になるようにまた机が置かれ、ここにいすが4つある。普通、研究室というと本棚くらいありそうなものだが、部屋の隅に小さなロッカーがあるだけでひどく殺風景だ。机には引き出しもなく、電話もない。ベクムロード君と向かい合わせで身元調査のようなことを訊ねているとまるで、刑事が容疑者を取り調べているような感じになる。

彼は経済学、経営学のバックグラウンドは皆無。こちらも授業でそんなに難しい経済用語を使うつもりはないから大丈夫だろう。日本語を第2外国語として学んだので、多少日本語もできる。将来は外交官になる夢を持っている、だから日本語や日本のことも知りたい、また外交官になるために一生懸命お金をためるつもりだ、とも言う。こちらは外交官試験というものがなく、複数の有力者にしかるべくお金を添えて「お願い」をすると外交官になれるらしい。

話は宗教に移っていった。先生は神道を信じているのですか。日本人は死んだらどこにいくと思っていますか。神はひとつです、どうして日本人は仏教徒でありながら神社に行って拝むのですか。こっちが刑事に取り調べを受けているような気持ちになる。ベクムロード君は豚肉を食べないし、酒は飲まない、断食月にはもちろん断食する、お祈りも欠かしません、という。敬虔なイスラム教徒のようだ。

それではメッカの方向はどっちですか、と聞いてみたら、こっちかな、あれ、あっちかな、などと覚束ない。やはりウズベクイスラム教徒だな、ということがわかって少し安心した。