チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

地方巡業 3

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地方巡業 その3

ウルゲンチまでタシケントから1時間20分、小型ジェット機を下りると空港ビル横の金網のところまで歩かされる。網戸の外に十数名の人がいる。出迎えの人かタクシーの運転手だ。外人と女性通訳という姿が目立つのか、長身の男性が声をかけて来た。トゥルクール・バンク・カレッジの学長、ルスタン氏である。34歳、精悍で緑の目が知性を感じさせる。29歳の時から学長をしているとのこと。



初対面の挨拶のあと、ナフォサットにウルゲンチ・バンク・カレッジでまず講演するのではないの?、と聞くと、先生、ヌクス(カラカラパクスタン共和国)に行きたいと仰ったでしょ、カラカラパクの首都ヌクスにはバンクカレッジはなく旧首都であるトゥルクールにカレッジがあり、そこで午前中講演ということになっているのです、と言う。



勧められるまま車に乗り込んで空港からトゥルクールへ向かう。ウルゲンチから車で15分くらい走るとアムダリアというウズベクを代表する大河を渡る。確かにその先はカラカルパクの領域になる。ルスタン学長は世界経済外交大学の大学院を出ており、同窓のナフォサットとすぐ意気投合した。こちらでは初対面の時にどこの大学をでましたと自己紹介するようだ。自分も時折、ウズベク人に出身大学はどちらですか、と聞かれることがある。答えても仕方ないのだが、聞くと向こうが安心するみたいだ。大学名を言っても学部までは言わないようにしている。法学部政治学科卒業と答えると、今教えているベンチャー論、経営学とどういう関係にあるのかと聞かれて説明がややこしくなるからだ。すべからく自分の不利になることは言わないほうがいい。

アムダリアの浮き橋を渡るのは何度目だろうか。春、夏に比べて水量が一段と少ない。この川の源流は天山山脈パミール高原の氷河であるから、氷の融ける夏季に水量が多い。もう晩秋、冬と言ってもいい時期で、川を渡る風は冷たく、車の中は暖房を入れている。車に乗ること1時間あまり、10時過ぎにトゥルクール・バンク・カレッジに着く。このカレッジは全校生徒1080人、教員数68名、1996年設立、銀行学部、会計学部、起業学部からなる。先生方との挨拶もそこそこに講堂に行って見るとすでに200名ほどの生徒が着席している。前方の席には十数人の教師が陣取っている。



まず自己紹介と何故自分がここにいるかの話をする。
62年前、日本は戦争に敗れ、焼け野原で国民はほとんど飢餓に瀕していた。国土はウズベクより20%も小さく、また70%は山間地である。あの時の日本はウズベクよりずっと貧しかったことは確かである。でも米国を初めとする世界の国々の援助、協力によって日本は復興を果たし、世界第2の経済大国になることができた。その日本はいま、世界の国に恩返しをする番になっている。ODA資金を供与し、人材を派遣し、多くの国が豊かに、発展していくようお手伝いをしている。ウズベクにはJICAから数十名の人がいて、教育、商業、農業、看護などの分野で協力活動に従事している。で、自分がタシケントで教えているベンチャー論とは、とウズベクの画一的な中小企業論(零細企業論)とは別の観点から、起業を語り始める。

この内容はタシケントでも他の先生のクラスで何度かやっており、流れは大体できている。パーマネントの教職は初めてなのでよくわからないのだが、授業にもおせち料理のように誰にお出ししても恥ずかしくないものから、これじゃどうかな、というお茶漬けのような講義もある。今回の巡業で用意したのはもちろんおせち料理クラスである。この講義を聞いて他の授業をサボってまで他クラスから自分の授業を聞きに来る生徒たちもいるが、お茶漬け授業にがっかりしてそのうち出てこなくなる。

いつもは20-30名の小クラスで授業するのだが、200名を越す聴衆を前に講演するのは初めてである。でも不思議と緊張はしない。演壇を降りて右に行ったり、左に行ったり、時には聴衆の間を歩き、黒板に下手なマンガを書いて笑わせながら話を進めていく。学長もずっと同席している。生徒も先生方も熱心に耳を傾けてくれている。話していて実に気持ちがいい。(続く)