チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

授業始まる

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授業始まる

タシケント・バンク・カレッジの後期授業開始日は1月11日だ。8日に時間割が発表になるというので、学校へ行ってみたらまだなにも掲示板に出ていない。通訳のベク君に聞いてみると、今、時間割作成の真っ最中ですとのこと、それで自分の授業日程の様子を聞きに行かせる。すると慌てて戻ってきて、金曜日に3時間入っていますという。3クラスを1日でやるのは疲れるし、4時間目の授業となったら17時40分から始まって、終了が19時40分になってしまう。それでなくても勉学意欲の薄い生徒が多いから4時間目の授業では出席率が落ちてしまう。それはまずい、1日に1クラス、それも1時間目か2時間目にするように、と希望を出す。
通訳ベク君はこの学校の英語教師を兼任しているので、ベク君の授業時間と自分のそ
れが重なってもまずい、ベク君にハードネゴをして来いと送り出す。1時間ほどして戻ってきて、先生の希望通りになりました、時間割発表は10日ですとニコニコしている。やれやれ、と胸をなでおろす。

10日に登校してみたが時間割が張り出されていない。先生も生徒もこれでは困るのではないか、と思うのだが、ベク君に言わせると地方の生徒が週末にタシケントにやってくるので、11日(木)、12日(金)には実質的に授業はありません、本格的に授業が始まるのは来週からです、などとのんきなものだ。

11日、授業開始日に学校に行ってみたら掲示板の前には先生が一杯集まっていた。今日から自分がどの教室で、どこのクラスを教えるのか確認している。実はどの先生も時間割を作成する教務主任のところに行って、なるべく時間が空かないように、たとえば1日に1、3時間目という形を1,2時間目あるいは2,3時間目連続という風に変更してもらうよう頼んでいた。だから大体の自分の割り当てはわかっている。

自分はカレッジで唯一の外人教師であるから、かなり無理を聞いて貰えたようだ。教務主任が時間割を作り始めるのは授業開始1週間前だ。パソコンも使わず、大きな紙に鉛筆で科目と先生の氏名を書いたり消したりして完成させていく。1学年28クラスもあるから大変な作業だ。でも変数は少ないし、簡単な時間割作成プログラムを作れば授業開始日に時間割発表などというあわただしいことはないと思うのだが。また科目数は変わらないのだから前学期が終わったらすぐ素案を作ればいいと思うのだが、どうして、ぎりぎりまで時間割を作らないのかよくわからない。ベク君に言わせると時間割りで便宜を図ってもらうよう依頼してくる先生の袖の下の額を勘案しているうちにギリギリになってしまうのでしょう、と言っていたが、もちろんこれはジョークである(と思う)。

自分も掲示板の時間割を確認してみた。すると木曜は授業がなかったはずなのに1時間目に1クラス入っている。9月にこの学校で初めての授業をしようと、緊張して教室に入っていったら、一人も生徒が現れず、脱力のうちに自然休講ということになったことを思い出す。学校全体に生徒が少なく、全員が登校しているようには見えない。時間になったので一応教室に行ってみたら、それでも女子生徒が4人だけ座っていた。これでは授業にならないなと思い、11月、12月に銀行実習にいったときの話を聞きだしたり、健康診断一時休暇で戻っていた日本の話などをして30分くらいで終わりにした。

翌日金曜日にも1クラスあった。今日も出席者4,5人で授業にならんな、とタカをくくって教室に出向いてみたら20人くらい来ている。でも2ヶ月以上、クラスメートと会っていないので皆ウキウキしていて私語が多い。指名した生徒から銀行実習の様子を聞いているとすぐ周りから「毎日お茶を飲んでいただけだよね」などと茶々が入る。銀行や政府機関で2ヶ月実習することになっているはずなのに、生徒によっては書類上、実習したことにしてもらって自宅でのんびりしていたという生徒もいたようだ。実習先でも慣れない生徒にミスされて、勘定が合わなくなっても困るので、実習についてはやったことにして、ということもあるという。

形は出来ていても実質が伴っていないという例はこれに限らず、発展途上国にはいくつもあることだが・・・、それにしても。

追伸 私の研究室のドアに貼ってくれたプレート(写真)ですが、NAKANISHIがNIKINISHIに、JICAがJACAに間違っています。下のほうはシニア・ボランティアと書いてあるそうです。(笑)