チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タシケントの1月

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タシケントの1月

日本人にとってお正月は特別の意味を持つ。昔は誕生日ではなく正月元旦に一律に全員1歳年を取った。文化的にも宗教的にも各地で色々な催しがある。
これに引き換えウズベキスタンの正月はさっぱりしたものだ。おおむね会社や政府機関は28日まで通常と同じ。29日から1日が休みで2日からまた通常業務。31日深夜から1日にかけて各家庭の窓から爆竹を鳴らすくらい。普通の休日とさほど変わらない。学校は29日から冬休みで1月11日から後学期が始まる。日本センターでは1月3日から日本語クラスを開講した。自分もイランで経験があるが3が日から仕事を始めるということにはかなり抵抗を覚える。

さてタシケントの年末年始は降雪、寒波で大変だったようだ。自分の帰国した2日の夜は一面の銀世界で道路はアイスバーンのようになっていた。降雪対策のしていない白タクは、停車、発車のたびに横滑りをして怖かった。

標高500メートルに位置するタシケントは酷寒の地と思われがちだが、緯度でいうと津軽半島青森県と同じくらいでそれほど高緯度に属するわけではない。手もとのウズベキスタン年間気候表によれば、1月の最高気温は17,5度、最低気温はマイナス14,2度、平均マイナス0,1度となっている。
夏はもちろん、冬でも日間気温差が激しい。朝晩は零下に冷え込んでも、昼、日がさせば10度を越える。だから雪は根雪となることなく溶けてしまう。日中を通してマイナスの気温ということはないので天然のアイスリンクはない。
1月9日に18年度2次隊の青年海外協力隊員が赴任してきたが、そのうちの2名が北海道出身。タシケントは札幌よりずっと暖かいですという。年末年始に降った雪も今はほとんど溶けている。朝晩も零下にはならず、日中は10度前後に上がる、タシケントが一番寒い時期は12月下旬から1月21日までだそうだ。平均気温を見ると2月のほうが1月よりも少し高くなっている。

高くなったで思い出したが、帰国してみたらバス代、地下鉄代が160スムから200スムに値上げになっていた。昨12月初めに何の予告もなく上がったそうだ。ついでに白タク、レストランの料理の値段も軒並み上がっている。

年頭に当たって大統領が行った演説では、2006年のインフレ率は7%以下であると言っているが、消費物資は少なくとも10%は上がっているように感じる。公務員給与の改訂が昨年2回にわたって行われ、教員ベク君の給料も40%上がり、月給が90ドルになったそうだ。賃金の上昇率が40%でインフレ率が7%以下ということは通常考えられない。
また2006年の経済成長率は7,2%、輸出額は30%伸び、外貨準備高、金の保有額は33%増加したという。ただし、絶対額がいくらかは発表されていない。また2007年にはGDP成長率7,7%、インフレ率は5-7%に抑えられる見込み、国民の実質賃金は最低17%増加すると言っている。
日本でも「格差」の問題が取り沙汰されているが、ここ2,3年、恵まれない人たちの生活水準の低下は大問題となっている。外国メディアのレポートによれば12月にブハラで生活苦に抗議するデモがあり、タシケントーブハラを結ぶ道路が一時封鎖された。ブハラにはこの冬にガスが供給されなかったり、バザールの売り場指定をめぐって不正があったり、こういったことも抗議行動の原因にもなっているのだろう。

新年にあたりバラ色の経済成長と賃上げを約束する大統領が、実は今年を「貧困階級の社会防衛の年」とすることを呼びかけているのはブハラの抗議活動を受けてのことだろうか。(因みに昨年は「慈善と医療従事者の年」)

なお、大統領の年頭挨拶においては1月22日に切れる大統領任期や次期選挙への言及は全くない。ウ国の憲法では現大統領の任期が切れた場合、その年のうちに選挙を行うことになっている。その間、どうするか、というと「大統領代行」を置くことになっている。でもこの国で「私が大統領代行をやります」という人は、今の大統領以外に出てこないだろう。

今年のウズベキスタンは政治的、経済的に目が離せない。