チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ナボイ市郊外(9)

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ヌラタのカシム・シェイク・モスク その1

サルミッシュの岩絵を見学し、ナボイ旅行の目的をほぼ達成したわけであるが、館長やヌラリー君に相談すると、もし1日滞在が延ばせるのであれば、ナボイから100キロほど離れたヌラタにあるカシム・シェイクを見物してはどうか、と勧められた。カシム・シェイクは500年以上前に建てられたモスクである。

ヌラタ自体はザラフシャン地方を代表する古代からのオアシス都市だ。マケドニアアレクサンダー大王はヌラタの黄金を求めて、侵攻してきたと伝えられているし、1220年2月にはジンギス汗が、その巨大な軍団を率いてキジルクム砂漠を横断してきて、ブハラを攻撃する前に、このヌラタを貫いた。まさか、赤い砂漠、死と灼熱の土地、キジルクムを進軍してくるとは思ってもいなかったブハラ汗国は、壊滅的な被害を蒙る。

ともあれ、お勧めにしたがってもう一泊、ナボイホテル(写真)に泊まることにする。昨日は1泊21000スム、昨日とは違うフロント係に値段を確かめると目を宙に泳がせて、2万スム(約2000円)です、という。張り出してあるルーム・レートは16000スムだが、差額は係員のものになるのかもしれない。前払いでもちろんレシートはくれない。

朝8時半にヌラリー君がホテルに来てくれた。ヌラタへ行くバスのターミナルまで案内してくれるという。道すがらヌラリー君は、マッチ箱からコインを取り出した。直径2センチくらいのいびつな銀貨で、アラビア文字がいっぱい刻印されている。アムール・チムール時代の銀貨だという。それを記念に自分にくれるというのだ。自分にとってはまさに猫に小判であるし、貰っても失くしてしまう恐れがある。一度受け取って好意だけ受けるというジェスチャーで、ありがたくお返しした。今思い起こすとやっぱり貰っておけば良かったかな、という気がしないでもない。

バス乗り場でヌラリー君の指示通り、水や昼食用のソムサを買い込んで、バスに乗る。料金は2000スム。バスは集落ごとに止まりながらキジルクム砂漠を北に走る。1時間ほど走ったところで左地平線上に大きな工場が見えた。隣の席のおじさんが「カズガン」といって石を切り出し、それを磨く動作をする。ああ、カズガンか。ナボイから80キロ、資料で読んだ大理石の採掘、加工で有名なところだ。

はるか昔、一人の羊飼いが羊の群れを追っていると、一頭の羊がある石の上に座って動かなくなった。奇妙に思った羊飼いが、その石を拾い上げ、空に投げてみた。するとその石は薄桃色のまばゆい光を発して飛んでいった。羊飼いがもう一度その石を拾って投げると、今度は明るい緑の光を放って飛んでいった。もう一度投げてみると、今度は元の灰色のままだった。

もちろんこれは現地に伝わる言い伝えを紹介したものであるが、大理石の色は地球の色、すなわち朝の空の色と地球の緑を現していると伝えられる。ウズベクの輸出品としても有名で、カズガンの大理石は7色と喧伝されているが、一般には22色が含まれ、その22色が創り出す色調は、約200にも及ぶ。雪の色、空の色、海の色,夕焼けの色などさまざまな色を創り出す。.

この大理石の採掘が始まったのは7世紀ごろからだと言われているが、大量に採掘が始まったのは20世紀半ば以降である。パリとニューヨークで開かれた万博で,パビリオンの装飾に用いられて以来、カズガンの大理石は世界的な知名度を得た。モスクワ市内の10の地下鉄駅、サンクトペテルブルグキエフトビリシタシケントなどでカズガン大理石が使われている。生産量の8割が国内で消費されており、タシケントの地下鉄、タシケント空港、ウズベキスタンホテル、またナボイのファルファッド宮殿のの建材として使用されている。

カズガン大理石は、その色調の美しさで知られているが、もうひとつ他にはない特徴がある。それは香りである。カズガン大理石の粉末を手にとって見ると、その色調の変化とともにえもいわれぬ芳香がする。心地よい花の香りと書物には記されている。バスの窓からこのあたりの集落を見ると大理石つくりの家や塀が多くなってくる。一番安価に手に入る建材が大理石なのだろう。

バスはヌラタの街に入り、どんどん客が降りていく。一人残されて「カシム・シェイク」と叫ぶ自分を乗せて、バスは澄んだ水が流れる用水沿いの広場に停まった。