チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

結婚

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結婚

久しぶりに授業をしてみたら、そのクラスの女子生徒2人が結婚していた。学業は続けるという。この国では女性の60%が20歳前に結婚するからそれほどびっくりすることではない。前の学期でも、来週は私の結婚式ですから授業を休みますといった子がいた。

結婚した子の一人はいつもイスラム教徒であることを示すスカーフをかぶっているおとなしい子だった。(写真) こちらでは恋愛結婚はマレである。若い男女付き合うこともあまりない。彼女の父親が、この男と結婚せよ、と命令したからに決まっている。こちらは両親、特に父親を尊敬する気持ちが強く、父親の言うことは絶対だ。到着当初、街を案内してくれた世界経済大学の学生も父親が見つけてくれる女性と結婚すると断言していた。「父の言うことは間違っていませんから」というのが理由だ。日頃、権威の低下に悩む日本のお父さんから見るとまさに別世界という感じだ。

奥さんになった生徒がいるから、ということではないが、クラスの女子を見渡すと何か変化がある。初めて彼女たちを見たとき、芳紀18歳、若鹿のように美しかったの に、何人かの女子生徒が暫らく見ないあいだに急に太っている。銀行実習に行かないで家で食べ続けていたのだろうか。

少女がローティーンからハイティーンになって美しく変身するさまをサナギが蝶に変わったようだ、と形容することがある。でもあっという間に肥満してオバサン、オバサンした生徒を見ると、チョウチョが「蛾」に変わったように感じる。向うにその気がなくてもこっちは何か騙されたような気分に陥る。ウズベクの父親もこういった変容を知っているから早めに娘を適当な男に押し付けてしまうのではないか。

大学へ進学する女性も在学中にほとんど結婚する。結婚すると夫の許しがないと勉学を続けることも、卒業後就職することもできない。あたら能力を持つ女性が夫の祖父母、姑、小姑の世話に追われることになる。ウズベク人の日本語教師は女性が多いのだが、彼女たちが働けるのは夫の許可があるからで、たとえばおばあさんが倒れたりして、家でばあさんの世話をしろ、と夫が言ったら教師の仕事をやめてしまう。実際に、こういったケースがあり、その後釜探しにJICAの日本語教師が奔走していた。

自分はまだ経験していないが、日本人はよく結婚式に招かれる。日本だと披露宴に招待されるといくら包めばいいだろう、などと気にすることになるが、こちらでは余り悩む必要はない。大体、最低でも300人呼ばれるのだ。またこれが3日続く。マハッラの人はもとより、知り合いという知り合いは招かれる。もっていくのは日本人の場合、花くらいでいいらしい。お金は包む必要はない。 3日の大宴会を、それも都会ではレストランを借り切ってやるのだから新郎新婦の両親は大散財となる。披露宴の費用が足りないのでたくわえができるまで結婚式を延ばす、ということもあるそうだ。

お祝い金はすべて要らないのかというとそうではなくて親戚、特に親しいとされる友人は1万スムから5万スムを包む。包むというがこちらは美しい慶弔袋はない。披露宴の半ばに世話役がお祝い金を徴収にやってくる。その人にハダカの現金を渡すのだそうだ。もちろん新札でなくてかまわない。世話役の後ろには2名ほど計算、記録係りがついていて、渡されたお金の額と拠出者の名前を書きとめていく。この記録は、拠出者もしくはその関係者が結婚する時に自分が持っていくお祝い金の参考にする。ギブアンドテイク、あるいは義理かけ、頼母子講システムにも通じる。 でも友人として出席する場合、5万スムは月給100ドル程度の若い人にとっては大変な出費だ。結婚式が続くとお祝い金をどうしようと言う気になる、とベク君は言っていた。

お金と言えば、日本人でも100スム札を沢山持っていく必要がある。それは披露宴の時、演奏を行う民族舞踊楽団の人にあげるおひねりに使うのだ。また、音楽につられて踊りだす友人、親戚の人の中で上手に踊っている人にも渡さなくてはいけない。 この披露宴の踊りには、珍しい外人、日本人は必ず引っ張り出される。とにかくめでたい席なので断るわけにいかない。踊りが珍妙なので、おおむね受けて、いろいろな人から100スム札をベルトに挟んでもらえる。
おお、儲かった、とそのお札を持ち帰った人がいたそうだが、これはルール違反、もらったスム札は楽団の人に渡すのが決まりだそうです。