チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

チェントンバス旅行(最終回)

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チェントンバス旅行(最終回)

■比較的健全な街
チェントンを旅したのは煙害に咽ぶ3月のことだった。チェンライより高地のチェントンに行けば煙害から逃れることができるかと思って旅に出たが、幾らかはましであったもののチェントンからの眺望も薄靄に包まれていた。北タイの煙害はもとはといえばミャンマーで山焼きをやっているせいだといわれているくらいだから仕方ない。チェントンまでのバスの車窓から見る山からも所々で煙が立ち上っていた。
煙害情報が流れていたせいか、観光客の姿はあまり見なかった。市内にある名刹、ワット・ゾン・クンでタイから来たおばさんグループと、ホテルで数人の中国人を見ただけ。チェンライでよく見かけるファランの姿は実質2日の滞在期間であったが、全く見かけなかった。白人を見かけないと、やっぱりチェントンは秘境かなあ、と何故か嬉しくなる。

これまで、町の中心、チェントン市場、2つの温泉、街のオアシス、ノン・トゥン池、更には標高1600mの「霧に覆われた山」、ルイモェーを紹介してきた。鄙びていて、何となく郷愁を誘う町である。観光的には発展途上地区といえるかもしれない。バイタクのホンカンさんに、ビヤバーはないの、と訊ねたが、夜に酒が飲めるところはホテルのバーくらいで、女性が侍るような飲み屋はない、とのことだった。またマッサージ店もあるが、日本のオジサンがが期待しているようなサービスは一切なし、と断言していた。

■一本木の丘
チェントン市場からバイクで5分ほどの場所に「ワン・ツリー・ヒル」という丘がある。チェントンの街を見下ろすこの丘に文字通り、1本の大木が立っている。説明板によると、この木は1115年に植えられた、即ち樹齢900年余り、木の高さは66m、胴回りが12mあるという。この木の名はフタバガキ、熱帯に自生する常緑高木で成長が早く、ラワン材として用いられるとのこと。日本だったら注連縄が貼られるような大木だ。チェントンの人もこの木を大切に思っているようで、低い鉄製のフェンスで囲まれていた。

丘一帯は公園となっており、回廊となっている遊歩道には古い石畳が見て取れる。これは昔、この丘が外敵を防ぐ砦として使われていたことを示すものだ。丘の周りを囲んだ濠のあとも残っていて、タイの古い街と同じく、チェントンも城塞都市だったことを示している。
そう言えばチェントンやチェンライの「チェン」は「砦」を意味している。タイ族が作った街、チェンマイ、チェンライ、チェンセーン、チェントン(チャイントン)、チェンフン(中国・景洪)の5都市をひとまとめにしてハー・チェン(5チェン、5つの砦)と呼んでいる、という話を思い出した。

■モンラ―
チェントンに行ったら、1泊したい場所があった。それはチェントンの北東80キロに位置する、森と山の中にあるアジアのラスベガス、モンラ―である。モンラ―は30年前は貧しくひなびた中国国境の田舎町だった。その田舎町が実は麻薬作りの不名誉な町として知られ、ミャンマー政府に取っては頭の痛い問題を抱えた地域だった。ミャンマーの軍事政権の時代に、世界から非難を浴びたこの地域から麻薬を一掃し、ミャンマー国内でありながら他では見られない不思議な街を作り上げた。

麻薬に変わる産品には、例えば珈琲や茶があるが、今までの麻薬作りに比べるととても同じような高収益を上げることはできない。、そこで考えられたのがカジノだった。社会主義国の中国ではギャンブルはご法度であり、このミャンマーも例外ではなく賭博は許されない。そこでモンラーを一つの特別地域に指定してカジノ特区を実現させたのである。

カジノは24時間の不夜城となり、道路、商店・パゴダ・ホテル・博物館・劇場・自然公園・ゴルフ場など完備させ、こうして出来上がった都市に中国本土から毎日1000人もの観光客が押し寄せ、中国人にとっては何もかもが珍しい自由な世界が楽しめる場所となったというわけ。
ミャンマー領内でありながら北京標準時間を使用、中国語が飛び交い、通貨は中国元のみ、ロシア、カザフ、タイ、中国の美女が選り取り見取り、飲食店では生き蛇、サル、亀、センザンコウ、その他希少動物がおり、客が注文すれば料理にしてくれる。

飲む、打つ、買うの中国人の3大欲望を満たす治外法権の猥雑な街であったが、今はかなり衰退しているらしい。らしい、というのは外国人の入境を禁止しているので情報が少ないせいだ。もちろん自分も行くことはできなかった。中国人の桃源郷中国経済の衰退と共に消え去る運命にあるのかもしれない。



写真はホンカンさんのバイク、中国製ピンボ、座席のみホンダ、ホンカンさん、ワンツリーヒル、丘からの眺め、チェントン、モンラ―位置関係