チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

スリランカ旅行(20)

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スリランカ旅行(20)

■6つ目の世界遺産、ゴール
コロンボで博物館やお寺を見物した後、高速道路で最後の目的地、ゴールへ向かった。コロンボから約120キロ、6つ目の世界遺産である。

これまでに、2500年以上前に築かれたスリランカ最古の都、アヌラーダプラ、シンハラ王朝の都として栄えた巨大な仏教都市、ポロンナルワ遺跡群、2100年前に自然の洞窟を利用して造られたダンブッラ石窟寺院、狂気の王・カーシャパによって築かれた天空の城、シ-ギリヤロック、そしてシンハラ王朝最後の都として300年以上繁栄した聖地、キャンディと、5つの世界遺産を巡ってきた。あまり予備知識を持たずに来たせいか、スリランカの紀元前から続く仏教文化に圧倒された。シンハラ朝が興った頃、日本はまだ縄文時代から弥生時代にかけての時代だった。その後、セイロン島は東南アジアはもちろん、中国からも仏法を学びに多くの学僧がやってくる一大仏教聖地となる。まさに仰ぎ見る文明国だ。13世紀にやっと文字が使われるようになったタイなどは足許にも近寄れない。

これまで見てきた5つの世界遺産は仏教と密接な関係があったが、ゴールはちとその趣きを異にする。ゴールはセイロン島の南端に位置し、アジアの入り口として古代からよく知られた港だった。ペルシア人、アラブ人、ギリシャ人、ローマ人、インド人、中国人等がこの地を訪れている。1411年にやってきた明の鄭和は中国語、タミール語、ペルシア語が刻まれた石碑を残している。そのうち、15世紀からセイロン島は中国のものだった、と言いかねない。

古くからアラビア商人の東方貿易地として繁栄し、16世紀にはポルトガルによってこの地にフォート(要塞)が築かれ、その後17世紀にオランダ東インド会社がフォートを拡張し、現在の街となる。要塞都市が原形のまま残っていることは世界的にも珍しく、旧市街とフォートは1988年に世界遺産として登録された。

津波の被害を食い止めた城壁
インド洋に突き出した一周数キロほどの半島部分は、6~20mの高さの城壁に囲まれている。ここがゴールの旧市街で、フォート・エリアとも呼ばれる。2004年12月26日を覚えておられる方も多いかと思う。スマトラ沖大地震が発生した日である。インドネシアスマトラ沖でマグニチュード9.0の地震が発生し、その直後に大規模な津波がインド洋沿岸10カ国以上の国々を襲った。死者・行方不明者は28万人に達した。スリランカに押し寄せた津波では3万5千人以上の人が亡くなった。タイ南部アンダマン海に面するプーケットでも津波の被害が出た。タイでの津波による死亡者は5千3百人余りというからスリランカの被害がいかに大きかったがわかる。
しかし、ゴールの旧市街は城壁のお陰で1人の死者も出なかった。このことにより、ゴール旧市街は「奇跡の世界遺産」と呼ばれるようになった。

フォートは北端のメインゲートから南端の要塞まで700m、東西に走る道路の長さが300m、非常にコンパクトで城壁内にある教会や博物館、ホテル、レストラン、灯台、時計塔などすべて徒歩で回ることができる。南アジアにありながらコロニアル風の街並みはどこか欧州のエキゾチックな雰囲気を漂わせている。

■城壁内でまずはビール
フォート・エリアにはオランダ時代の邸宅を改造したゴール・フォート・ホテルやスリランカの産んだトロピカル建築の奇才、ジェフリー・バワが手を加えたホテル、アマンガラなど世界的に有名なホテルがある。ゴールの観光化が始まったのは高級ホテルがオープンした2000年代後半からとのこと。ネットを見ると、フォート・エリアにあるGHはショボい割には高い、と書いてある。折角ゴールに来たのだからと、同行のIさんと城壁内のGHを探す。いくつか見て回ったが確かに設備が整っていないのに値段は中級ホテル並みに高い。それに予約が一杯で連泊できるGHは限られていた。まあ飛び込みで2夜の部屋が確保できたことは幸運だった。

フォート内の建物の1/3は外国人(芸術家、写真家、作家、デザイナー等)が所有していると言われ、垢ぬけた店が多い。有名ブランド店もあってそれ等を目当てに来る欧米の観光客も多い。軽井沢の商店街のようだ。スリランカ料理、インド料理、イタリアンなどのレストランに混じって和食店も1軒あった。夜はお洒落なレストランで海鮮フライの盛り合わせを食べた。安くておいしいレストランは城壁の外に沢山あるようだが、夜の城壁内散策にエネルギーを消耗していたので、観光地価格のレストランでも不平はない。付け合わせのポテトの量が多く、ビールのつまみに最適だったのはよかった。



写真は城壁へ入るメインゲート、夜のモスク、旧市街、和食店、海鮮フライの盛り合わせ、GHの朝食、