チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

スリランカ旅行(19)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

スリランカ旅行(19)

コロンボに一泊
娘をバンダラナイケ空港に送ったあと、コロンボに戻った。空港からコロンボ市内まで35キロある。真夜中に郊外のホテルに投宿、朝起きて窓の外を眺めてみると目の前は大きな湖で、湖面には濃い靄がかかっていた。ミルクティーを飲みながら幻想的な風景を楽しんでいると昨夜、このホテルで別れたI さんの友人、ダサナヤカさんが迎えに来た。Iさんが以前この国を旅行した時知り合って、時折メールを交換するほどの仲というがスリランカ人は情に厚いすぎるのではないかと思うくらい親切だ。

さて、まず向かったのは定番観光スポットであるコロンボ国立博物館コロンボ国立博物館は1877年に当時のセイロン総督ウィリアム・ヘンリー・グレゴリー卿によって建設されたイタリア建築様式の建物で、14室からなる展示室には、スリランカの歴史的遺物から、民芸品、美術品などが展示されている。特にアヌラダプラ時代、ポロンナルワ時代、キャンディ王朝時代の展示は、世界遺産を見る前に行くか、見てから行くか、と言われるくらい充実しており、スリランカの王朝の光芒、そして興亡を概観するうえで貴重である。

まずは英国風に整備された広い庭園を歩いて白亜の壮大な博物館へ至る。建物の前に屹立する直径3mもあろうかという大木にも圧倒される。庭園から建物へ近づくにつれて博物館への期待が高まっていく。
入場料は1200ルピー(740円)、それに館内で写真を撮るためには別途300ルピーを支払う必要がある。知らなかったので支払わずに写真をバンバン撮りまくったが、館内の至る所にたむろしている係員からは何も注意を受けなかった。

コロンボ国立博物館
展示は石器時代から始まっているが、やはり感動するのはスリランカ仏教美術である。各地で仏像を何千体とみてきたが、博物館に収蔵されている仏像は格が違う。背後からの照明でまさに後光が差すがごとくである。その厳粛さに思わず手を合わせてしまったくらいだ。タイの仏像は多くは新品で金ぴか、全く個性がなく、どれを見ても薄っぺらい感じであるが、スリランカの仏像にはそれぞれの趣きがあり、深い精神性が感じられる。

かなり充実した展示と感じたが、スリランカの仏像や宝物の価値の高いものはとっくに英国に運ばれていることをあとで知った。その腰のくびれに感動した仏教女神タラと言われる菩薩像も本物は英国にあり、博物館の菩薩像はレプリカとのこと。どうやらスリランカの至宝を見るには大英博物館へ行く必要があるようだ。キャンディ王が使用していたという黄金に輝く玉座が展示されていた。これはスリランカの要請により英国から返還されたものである。但し、返還された時、王座に嵌め込まれていた宝石は全てガラス玉に代わっていたそうだ。

ここでシーギリヤ・レディに再会することになる。シーギリヤ・レディとは狂気の王カッサバの建てた天空の城、シーギリヤに登る道沿いの壁に描かれたフレスコの美女像である。実物は現在、撮影禁止となっており、それこそ目に焼き付けるほかないのであるが、博物館では本物と同じくらい、或いは実物以上に鮮やかな絵が展示されている。もちろん撮影は問題ない。
スリランカ旅行(12) https://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/56414792.htmlnitennpusita に添付したシーギリヤ・レディの写真は博物館で撮影したものである。こうしてみると技術の進歩は著しいから、どれが実物でどれが「写し」なのか、素人の自分には全く区別がつかない。

■高速道路でゴールへ
博物館の隣にある国立自然史博物館との共通入場券だったので、そちらにも行ってみたが動物の剥製やら水生動物の模型など小学生であればともかく、我々の興味を引くものではなかった。入館して15分ほどで退散した。
次に向かったのはシーママラカヤ寺院、コロンボの中心にあるベイラ湖の上にそびえる青い屋根の仏教寺院だ。モダンな感じがするのも道理、スリランカを代表する建築家、ジェフリー・バーワの手になるものだ。彼はトロピカルモダニズムの第一人者で、理想の家を建てるために30代後半で建築家になった。彼の手掛けたホテルに泊まる旅という企画があるくらい熱烈な信奉者がいる。
ベイラ湖の周りにはNYを思わせるようなビルが建っており、一部はまだ建設中だ。国民を刺激しないよう漢字の看板はないが、すべて中国資本によるものだ、とダサナヤカさんが教えてくれた。

昼過ぎにコロンボ観光を終えた後、我々が固辞するのに、ダサナヤカさんが120キロも離れた南端の街、ゴールまで送ってくれた。ゴールへの高速道路も中国の融資によって建設されたという。


写真はコロンボのホテルから、博物館へ向かう、4枚目が仏教女神タラと言われる菩薩像、6枚目がシーギリヤ・レディ