チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

スリランカ旅行(5)

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スリランカ旅行(5)

スリランカのホテルについて
ネットには「スリランカのホテルは割高です。一泊100ドルを目安にするといいでしょう」と書かれたものがある。しかし今回の旅行ではシングルルームでは2200円から3800円、ツインでは2800円から4300円といったホテルに泊まった。いずれも朝食付き、部屋も清潔でほぼ満足できるものだった。ネット予約のホテルの中にはプール付きでも一泊朝食付き2000円台の部屋もある。世界遺産を離れたビーチリゾートをドライブした時、一泊1000ルピー(700円弱)という看板を見かけた。
もちろん、ホテルはピンキリである。例えばゴールの旧市街にある由緒あるホテルは一泊で10万円はする。オランダ人がコロニアル時代に建てた屋敷を改造したものらしい。わざわざ見に行ったが、五木の子守歌(おどま かんじん かんじん あん人たちゃ よかしゅ)の歌詞が頭をよぎった。

同行のIさんは元祖バックパッカーであるし、娘も一人でインド旅行したこともあるので、ホテルについてはうるさくない。また、娘が同意したので、父娘はずっとツインの部屋だった。だから一人当たり一泊2000円以下とはなはだリーズナブルな旅行だった。それでもIさんと自分はついつい、タイのGHを引き合いに出しては一泊1000Bを越えるんですね、高いなあ、などと言いあったものだ。

■ニゴンボからアヌラーダプラへ
朝食前から、また海から戻っても娘は、ラ・グランデ・ホリデイ・リゾートのオーナーと話し込んでいた。日本語の達者な彼からスリランカの歴史、政治状況など多岐に亘って話を聞いていたらしい。時間があれば2、3日逗留してもいい魅力ある場所であったが、午前9時過ぎに迎えの車が来た。運転手はアジさんという50代の実直そうな人、車はトヨタの1500侫札瀬鵝△海瞭釮ら3泊4日、アヌラーダプラ、シーギリヤ、ダンブッラ、ポロンナルワ、そしてキャンディ、5つの世界文化遺産をこの車で回ることになる。費用は前夜の空港出迎えを含め、約300ドルだった。

初日はニゴンボからアヌラーダプラへ向かう。目的地に着く前に昼食を摂ったことを置覚えているから、かなり距離があったのでは、と思っていた。でもグーグルマップで調べてみると距離は170キロ弱しかない。但し、車で3時間48分かかる、となっていた。国道は片側1車線で、そこを自転車、バイク、バス、トラックが走る。乗用車は軽自動車が多い。歩行者もいる。対向車が避けてくれることを前提に追い越しをかける。避けてくれるので正面衝突はまずない。交通ルールはよく守られていて、バイクはほぼ100%ヘルメットを着用している。タイと違って小学生がバイクを運転しているという光景は見なかった。

それにしても幹線道路なのだから高速とはいかなくてもせめて片側2車線は欲しいところだ。娘の受け売り情報によると1948年の独立以来、鉄道の延伸はない、鉄道の発展は70年間ゼロというから道路網も推して知るべし、ということか。

スリランカはタイより世界地図でいったら下、赤道に近い場所に位置する。2毛作、3毛作が可能な土地柄とアジさんが教えてくれた。田んぼはタイと同じく、刈入れ、田植え、田起こし中など整然とした日本の田んぼとは異なる風景が続く。タイと違うのは田んぼに耕運機やバインダーなどの農機がみられないことだ。痩せて黒い人がしきりに鍬をふるっている。一人当たりの購買力平価GDPでいうとスリランカはタイの約3分の1しかない。まだ発展途上と言える。

タイに比べ、道路の両側にヤシの木が多いことに気づく。アジさんの話によるとスリランカにはゴールデン・ココナツという黄色いヤシの実があり、普通の草色のヤシに比べ、甘みが強いという。道路際の屋台でその黄金ヤシを買い求めストローで吸う。1個50ルピー、日本で30円くらい。タイのヤシの実に比べ確かに甘みがあったが、まあ一度飲めば話のタネになるという程度。

■まずはイスルムニア精舎へ
アヌラーダプラは紀元前5世紀から11世紀まで1500年の長きにわたって、アーリア系のシンハラ人の王朝が栄えたスリランカ最古の都である。1982年に世界文化遺産に登録された。アヌラーダプラの街は、新市街、旧市街、遺跡地区に分かれており、史跡の多くが遺跡地区にある。遺跡地区は約40平方キロとけっこう広く、遺跡は点在しているのでツアーや自転車を利用して周るのがおすすめ、とモノの本にはある。今回は車だから効率的に回ることができた。Iさんは8年前に来ているから、あちこちで、ああ、ここにトゥクトゥクを待たしておいたんだ、と感慨深けだった。

アヌラーダプラの数ある仏教遺跡の中で最初に訪れたのはイスルムニア精舎だった。



写真はニゴンボの漁港。4枚目はカマス、塩焼きにしたかった。5.6枚目はゴールデン・ココナツ。