チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

スリランカ旅行(11)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

スリランカ旅行(11)

■シーギリヤロック
スリランカ世界遺産と言えばシーギリヤだ。昨年帰国した折、IJPCの先輩と会食した。彼はスリランカ旅行から帰ってきたばかりで、苦労して登ったシーギリヤのことを楽しそうに話してくれた。それで初めてシーギリヤを知り、ネットで調べてみた。ネットを開くと先ず一番に、ジャングルの中にそびえ立つシーギリヤロックの写真が目に飛び込んでくる。シーギリヤロックは大昔に噴出した溶岩が固まってできた岩頸で標高は約370mある。楕円形の形をしており、四方は切り立った崖となっている。岩の頂上は1.6ヘクタールもの面積があり、1500年前に建てられた王宮の遺跡がある。他にも兵舎やダンスステージ、プール、給水設備などの跡もある。まさに天空の城といった趣だ。

シンハラ朝は紀元前5世紀から11世紀まで1500年、アヌラーダプラを王都としていた。だが5世紀後半、ほんの11年間だけこのシーギリヤ・ロックに都が移されている。カーシャパは、ダートゥセーナ王の長男だったが、母親は平民の血筋だった。それに対し、弟モッガラーナの母親は王族の血筋の女性であった。王位継承権を奪われることを恐れたカーシャパは、実父を監禁して王位を簒奪し、弟をインドに追放し、その後父を殺してしまう。弟モッガラーナの復讐の恐れと、父を殺してしまった後悔に苦しみ、カーシャパ王は神がかりになったように、シーギリヤの切り立った岩山に宮殿を建造し、王都とした。やがて弟モッガラーナ南インドから軍を率いて兄との戦いに挑む。この戦いに敗れたカーシャパ王は自害したと伝えられている。モッガラーナは再び都をアヌラーダプラに戻し、シーギリヤは仏教僧に寄進され、14世紀まで僧院だったという。その後、19世紀にイギリス人が発見するまで、多くの遺跡と同じようにシーギリヤはジャングルの中に何世紀も埋もれていた。

■博物館で予備知識を
さて、旅行3日目、スリランカ旅行のハイライト、シーギリヤへと向かう。朝、かなり早い時間についたが、シーギリヤの入場券売り場は長蛇の列、ほとんど外人だ、と思ったら外人専用窓口だった。料金は一人30ドル、スリランカ人は50ルピー(約30円)と聞いたから内外格差は実に100倍以上、タイの国立博物館なら通常外人は100B、タイ人は20Bで格差は5倍なのだが。
入場券売り場と同じ建物がシーギリヤ博物館になっていた。2009年にJICAの援助によって作られた。スリランカ・日本の国旗とともに、シンハラ、タミール、英語、日本語の4か国語でス・日両国の友好と協力の証として日本国民より贈与された、と刻まれたプレートがあった。館内には出土品の他、往時の宮殿内部のビデオや模型、シーギリヤレディの模写などが展示されている。シーギリヤに登る前にざっとした知識を得るのに最適だ。見学中にラジオから国歌が流れ、館内の人々が直立不動の姿勢となった。午前8時半に国歌が流れる。国歌が終わると再生ボタンを押したように人が流れだした。

■飽きない登山道
博物館からシーギリヤロックまで西から東へまっすぐ延びる道を歩く。昔は両側に城下町が開けていたらしい。シーギリヤを取り巻く濠を渡る。往時は鰐が放たれていて敵の侵入を防いでいたとのこと。アンコールワットラオスのワット・プーと同じく、中心に近づくにつれて心が清められていく。この地には紀元前から寺院が置かれていた。現地人の若い男が寄って来てヘルプ、ヘルプといって腰のあたりを押す。Aさんは彼らに押され、手を引かれて頂上まで登ったそうだが、Aさんより若い自分は助けを断った。チップが惜しいという理由もある。ついタイ語で喋ったが意味は通じたようだ。

地上ににょっきり立った岩山に登る階段の数は1200段とのこと。讃岐の金比羅さんの、本宮まで785段、奥社まで登ると1368段に比べれば少ないが、石段、螺旋階段、鉄板階段、ジグザグ階段とバラエティに富んでおり、段差も様々だ。でも標高370mといっても地表からの高さは195m、麓から1時間ほどで頂上に立てる、見物に時間を取られても登山開始から下山完了まで2時間見ればいいでしょうとガイドブックにはある。確かに前日に登ったピドゥランガラロックよりは登りやすい。

切り立った崖にへばりつくような階段はすれ違うのがやっとという狭さ、下を見ると足が竦む。さすがスリランカを代表する世界遺産、狭い道を観光客がゾロゾロと上り下りする。7割が白人、中国人1割、その他2割という感じだった。我が同胞も2、3組見かけた。


写真はシーギリヤロック、チケット売り場、チケット、プレート、シーギリヤへの道