チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

スリランカ旅行(2)

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スリランカ旅行(2)

■内戦で暫く行けなかった
スリランカは、13世紀にマルコポーロから「世界で一番素晴らしい場所」と讃えられ、14世紀に訪れたイブンバツータも当時の風俗を書き残している。古くから旅人を魅了している島である。
2010年には、ニューヨークタイムズ誌で「訪れるべき国第1位」に選ばれた。また、2013年のロンリープラネットでは「もっとも旅行したい国No.1」に選ばれたほど、注目度が高い、旅行者にとってたいへん魅力的な国である。

でもどうして近年になって騒がれるのか。それは1983年から2009年にかけて展開されたスリランカ政府とタミル・イーラム解放のトラ (LTTE) による内戦があったからだ。ドンパチをやっていてはとても観光になど行けない。
2009年にスリランカ政府軍がLTTE支配地域を制圧して26年にわたる内戦は終結した。この内戦で10万人の命が失われ、未だに2万人が行方不明となっているそうだ。内戦の遠因はロヒンギャ問題と同じく英国の植民地統治にある。

スリランカでは、総人口のうち7割をシンハラ人が、2割弱をタミル人が占めている。両者は古代より混住してきたが、イギリス植民地時代にタミル人を重用する分割統治政策がとられていた。しかし独立後にその反動として、シンハラ語公用語化を始め、タミル人の公職追放などシンハラ人優遇政策がとられたことにより、民族間の対立が高まった。シンハラ人は概ね仏教、タミル人はヒンズー教を信じているので、民族紛争、宗教紛争の様相だった。発展途上国の内戦の例に漏れず、双方に援助する国があった。シンハラ人の政府軍には中国、パキスタンが、タミル人側にはインドが武器支援を行った。一般のスリランカ人はインドが大嫌いである。かといって中国を好きな人にも旅行中、出会わなかった。

スリランカには恩義がある
1951年のサンフランシスコ講和会議でのこと。大東亜戦争で日本と戦った国から、賠償請求や分割統治の案が出されていた。その会議で、当時のスリランカ(セイロン)代表だった大蔵大臣が、「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」、「憎しみは憎しみによっては消えない。愛によってのみ消える」と演説。

●その演説は全世界に報道されて話題となり、会議の雰囲気を一変させ、日本分割回避に導いた。スリランカは戦後、日本と最初に外交関係を結んだ国となった。この当時の大蔵大臣こそ、後のスリランカ第2代大統領、ジャヤワルダナ氏である。

●ジャヤワルダナ氏は大統領として来日した際、「外国の統治の下では、(スリランカや植民地下の)信仰や言葉、慣習などはほとんど消え去りそうになっていました。私達だけではなく、西欧の帝国主義の下で同じような運命によって苦しんでいる全てのアジアの国民達は、(西欧の列強と戦い、時に打ち負かしていた)日本を称賛し尊敬していたのです」と宮中晩餐会でスピーチした。

●同大統領の死後、遺言により、両目の角膜の一つはスリランカ人に移植され、もう一つは日本人女性に移植されている。その後も角膜提供の運動は同国にあり、日本にも3000以上の角膜が提供されている。

■爆撃を受けた
昭和17年4月5日午前9時、日本帝国海軍南雲機動部隊から総数128機に及ぶ第一次コロンボ攻撃隊が発艦、コロンボ空爆する。その4日後の4月9日にはスリランカ北部のトリンコマリー港を爆撃。この戦いで英巡洋艦コンウォールとドーセットシャー、並びに空母ハーミスを撃沈した。

当時を知る現地人の話。「私達は、日本はスリランカを占領しているイギリスと戦っているのだと言っていたのです。日本軍がトリンコマリーを空襲し、イギリスの戦艦を撃沈した時は、皆とても喜びました」
ジャヤワルダナ氏は「釈迦涅槃後2500年に東方から戦士が現われて国を救う」という伝説が本当だった、と回顧している。爆撃を受け、賠償を要求して当然であったがそれを放棄したのは仏教の伝説ばかりでなく、英国の支配がいかに過酷であったかを窺わせる。なお、1985年コロンボから遷都した新首都、スリジャヤワルダナプラコッテは彼の名前に因んでおり、名称の由来は、「スリ(聖なる)・ジャヤワルダナ(第2代大統領名)・プラ(街)・コッテ(元々の街の名前)」。長すぎるので通常は略称、コッテと呼ばれる。

平成26年スリランカを訪問した安倍首相は、日本スリランカ・ビジネス・フォーラムにおけるスピーチの中でジャヤワルダナ氏の功績にさりげなく触れている。
日本は中国、インドに次いで3番目の援助国であるが、20年くらい前は筆頭援助国だった。多少は恩義に報いてきたと言っていいだろうか。



写真は「スリランカの代表的な料理・スイーツ10選」https://tabippo.net/srilanka-gourmet/ より。