チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

スリランカ旅行(15)

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スリランカ旅行(15)

■最後の王都、キャンディ
シンハラ王朝は、紀元前にアヌラータブラに最初の都を設けたが、南インドからの侵略を受けて南に遷都を繰り返す。ポロンナルワなどを経て、1474年にキャンディに都を移す。キャンディ王国は1815年まで続くが、その歴史は白人のアジア進出と隣り合わせだった。1505年、ポルトガルコロンボに上陸した。当初、彼らは友好的な交易だけを望むと言っていたが、コロンボにあったコーッテ王国に内紛が生じると、それを契機としてコーッテ王国を滅ぼして拠点をコロンボに置く。キャンディ王国は内陸部にあってスリランカで唯一の西欧の支配が及んでいない政権となった。

ポルトガルとの抗争が続く中、1602年にオランダ人がスリランカ東部へ上陸し、キャンディ王国と接触を持つ。王国はオランダ東インド会社の救援を得てポルトガルと対抗する。結局、オランダ、キャンディの同盟軍は1658年にポルトガル領セイロンの首都コロンボを攻略し、ここに150年にわたったポルトガル支配は終わりとなった。

ポルトガル支配の終焉後、キャンディ王はオランダにポルトガルから奪取した要塞を協定に基づき引き渡すよう要求した。しかしオランダはそれを拒否、ポルトガルに代わりオランダによる植民地支配の時代が幕を開ける。オランダはキリスト教を広める一方、仏教も保護したのでキャンディ王国は香料、珈琲交易で繁栄の時を迎えた。
しかし、交易の利権を巡ってオランダと対立すると王国は、当時インドを押さえていた英国の力を借りてオランダ追放に乗り出す。1796年にオランダはセイロンの拠点をすべて失い、ここにオランダの支配も終焉を迎える。しかしキャンディ王国は1803年から1805年、ならびに1815年の二度に渡るイギリスの侵略を抑えきれず、1815年のキャンディ条約でその保護国へと転落し、1817年のウバ州での反乱失敗後、イギリス領セイロンへと併合され滅亡した。
キャンディ王国最後の王、スリー・ウィクラマ・ラジャシンハ王は、処刑されることなく、インドのベロールフォート砦に送られ、そこでわずかな生活費を支給され52歳で世を去ったという。

■白人国の手先
アジアの国々が欧米の植民地になっていく様子を見ると、百数十年前、よく日本が白人国の毒牙に掛からずに済んだものだ、と安堵の胸を撫でおろす。幸運だったのかそれとも先人が偉大だったのか。幕末において幕府にはフランスが、薩長連合にはイギリスが支援を申し出ていた。勤王、佐幕、どちらが勝ったにせよ、外国の力を借りたならば、日本は独立を全うできなかっただろう。ちょっと間違えれば、徳川慶喜は家族を全員殺された上で、インドのボンベイあたりで幽閉の一生を送ったかもしれない。天皇家の運命もどうなっていたことか。

スリランカではインドから連れてきたタミール人優遇策をとった。ビルマではインド人が、カンボジアラオスの仏領インドシナではベトナム人が白人と現地人の間に立って下層統治者として振舞った。1983年から2009年にかけて26年にわたって展開されたスリランカ政府とタミル・イーラム解放勢力との内戦はシンハラ人とタミール人との戦いであったが、多数者シンハラ人の怨念が宗主国の手先だった少数者タミール人に向かったものと言えるだろう。

日本が植民地になっていたら、インド人、ベトナム人、あるいは中国人、朝鮮人が下層統治者として日本人の上に君臨していたかもしれない。朝鮮人は戦後の一時期、「朝鮮占領軍」を名乗って乱暴狼藉の限りを尽くした。今でも駅前の一等地にパチンコ屋があるのはその時期の名残であることはよく知られている。朝鮮人の下で暮らすなど悪夢では済まされない。

■属国日本
アメリカがどうやってハワイを、パナマ共和国を、そしてフィリピンを手に入れたかをご存知の人は多いと思う。戦前の日本では欧米植民地史といった書籍がかなり刊行されており、いかに白人国がえげつないやり方で非白人国を制圧したか、また白人が有色人種に対してどれほど残虐なことを行ったかが縷々述べられている。純粋のインディアン、インディオ、フィリピ―ナがもう存在していないことだけでも悪逆さの証左となる。
でも戦後、それらの書籍はGHQによってこの世から葬り去られた。そのせいか憲法9条を遵守し、米国の属国のままで中国と半島に何も言えない国であるべきだ、という半島人みたいな政治家、知識人が日本に沢山いる。先人の気概を思い起こして憲法を改正し、70年以上に亘る日本の属国根性を吹き飛ばしてほしいものだ。

キャンディ王国の話がいつの間にか、日本の独立の話になってしまった。


スリランカ旅行の写真から