チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

メコン河で散骨

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メコン河で散骨

■遺骨
母を荼毘に付したのは8月の10日、骨上げは12日だった。ベンジャロン焼きの華やかな壺、それからタイ式の仏塔をかたどった真鍮製の骨壺、それに素焼きの幅広の壺の3つに遺骨を分納した。日本でも葬式を執り行ったので、ベンジャロン焼きの壺は49日に合わせて東京の墓に納骨されている。タイ式の骨壺と布にくるまれた素焼きの壺は、母のベッドに置いた遺影の前に毎朝のお茶、生花とともに置かれていた。
何となくまだ母がいるようで、毎朝、遺影に向かって手を合わせていたが、百カ日も過ぎたので兄弟3人がチェンライに居るうちにタイ式に散骨しようということになった。

タイではご存知のようにお墓というものがない。遺骨、遺灰はお寺の境内の花壇に撒いたり、山野に捨てたり、あるいは川に流す。花火とともに打ち上げて空中散布ということもある。
タイは上座仏教だから遺体、遺骨にそれほど重きを置かない。死んでしまえば終わり、生前のタンブンによってどこかに生まれ変わるだろう、くらいの感じか。でもここ北タイでは仏教に昔からの精霊信仰が混じっているので、死者が悪い霊(ピー)になって災いをもたらさないように儀式を行う。まず故人の執着が無くなるように故人の持ち物は殆どお寺に寄進する。我が家でも母の衣服や使用していた蚊帳、布団などきれいさっぱり姿を消していた。黙っていたらベッドもどこかに行っていたことだろう。故人が離れに住んでいた場合などは、家を壊して新しく建て直す。だから、盆に故人がこの世に戻って来ても行き場がない。もっともタイでは百カ日の法要が最後で、お盆も1周忌とか3回忌といった定まった法要は行わない。

■散骨は合法か
タイでは散骨が一般的であるが、日本でも最近は手許供養とか散骨、樹木葬といって宗教とは関係なく葬儀を済ませる家庭が増えてきたと聞く。葬儀代やお坊さんへのお布施がもったいないという人もいるのだろう。

散骨@マガジンというネットによると日本における散骨は違法でも合法でもないグレーゾーンとのこと。刑法190条の死体損壊等(死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は3年以下の懲役に処する)、また、墓地・埋葬に関する法律(埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行つてはならない)となっている。宗教的な葬祭を行うことが当たり前の時代の立法だ。でも現在は散骨については「葬送を目的として、個人が節度をもって実施する分には遺棄罪にはならない」となっているようだ。

節度がないとして逮捕された事例もないではない。
2015年4月、東京都練馬区のスーパーのトイレに妻の遺骨を捨てたとして、68才の男が死体遺棄容疑で書類送検されたが、この男性は「他人の私有地に無断で撒いた」ことや「粉骨しないでそのまま撒いた」という行為が節度ない散骨として遺棄罪と器物損壊罪として逮捕された。

違法ではないからといってその辺の山に骨をまき散らしたり、牡蠣やハマチの養殖場の近くで散骨されたのでは関係者は堪ったものではない。そこで散骨する場合は、遺骨を一片2mm以下の粉末状(パウダー)にする必要がある。パウダー状であれば海辺で、或いはフェリーから散骨して問題ない。少量のパウダーであれば故人が好きだった山に撒いても節度ある葬送、と認められるのではないか。

メコン河で散骨
タイでは散骨は違法ではないし、川に流すことはごく一般的だ。11月の末、弟夫婦と兄と4人でラオスミャンマーを臨むゴールデントライアングルのチェンセーンへ2つの壺を持っていった。チェンセーンにはラオスのドンサオ島に渡る観光小舟が多数係留している。船頭に「ロイアンカーン(散骨)」と言えば、万事承知で舟を出してくれるという。

ドンサオ島往復は600Bだが、散骨なら300Bと言われて舟に4人乗りこんだ。岸を離れた舟は河の中央より手前で停止した。船頭に促され、ここでザラザラと遺骨を撒く。壺はどうするのと聞くとそのまま放りなさい、というので、空になった壺を船べりからメコン河に投げ込んだ。中国の貨物船も通るところだから水深はかなりある。壺が再び地上に現われることはないだろう。舟はそのまま元の河岸に戻った。舟に乗りこんでから戻るまで5分ほど。道理で安かったはずだ。

これで母の死に関する儀式は一段落した。生前、母は、梅原龍三郎の「生者は死者の為に煩わさるべからず」の遺言に感心していた。亡くなって4ヶ月、もう充分だよ、あとは自由に生きておくれ、と言ってくれているような気がする。


写真はメコン河、終わって3人で記念撮影