チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

豪雨による被害

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豪雨による被害

■お見舞い申し上げます
活発な梅雨前線が引き起こした西日本豪雨により、死者、行方不明者は100名を越え、15府県では2万人以上の人が避難生活を余儀なくされている。亡くなられた方にはお悔やみを、被災された方にはお見舞いを申し上げるとともに1日も早く、元の生活に戻られることを祈っている。

今回の豪雨では1日雨量が1000ミリを越えた地区もあったという。今回、初めて「バックウォター現象」という言葉を知った。バックウォター現象とは豪雨などで川の本流の水位が上がることで、本流に流れ込むべき支流の水が、壁にぶつかるように流れを阻害され、行き場を失ってあふれ出す現象を指す。岡山県倉敷市真備町では、高梁川の支流の小田川で決壊が2カ所発生。岡山県も、支流の高馬(たかま)川などで3カ所の決壊が確認されており、いずれも川の合流地点付近という。地形的にも高梁川小田川に挟まれてたまった水の逃げ場がなく、浸水が長引き、その範囲は約1200ヘクタールに及んだ。平成27年には鬼怒川で同様の現象と被害があったという。川が合流する地点ではこのバックウォーター現象はどこにでも起こる可能性があるという。

■洪水、日タイの違い
チェンライ、タムルアン洞窟に閉じ込められたサッカーチームの発見、救出の模様は日本でも大々的に報道されていたと聞く。6月下旬に降った雨の影響で洞窟内を流れる川の水位が上がり、戻れなくなった。洞窟内と同じようにタイの川も豪雨があれば急に水位が上がって被害が出るのでは、と思われる方もおられるかもしれないが、水位が上がったのは洞窟内という特殊事情、タイの川も増水はするが倉敷市真備町のように30分で肩の高さまで水が来たというような突発性はない。

タイの洪水というと2011年のタイ洪水を思い出す。罹災者は300万人以上にのぼり、約1,000万世帯が被害を受けた。 タイの国土面積の半分以上(40都県以上)がなんらかの被害を被ったという。7月にタイ北部、東北部で降った雨がチャオプラヤー川、メコン河をゆっくりと下って10月中旬から下旬にかけてバンコク市内を水浸しにした。タイは平たい国だ。タイ中部のスコタイからバンコクまで400キロあるが高低差はわずか100m、チャオプラヤ川の流速はバンコクで時速2キロ、歩くより遅い。増水速度は1日5センチほどでじわじわとやってくる。メコンの増水は昔からのことである。古い家は高床式だし、増水に適応した浮き稲という水稲もある。この稲は1日に5センチ以上成長し、地面から3,4メートル上の水面上で稲穂が実る。但し、茎を伸ばすほうに栄養がとられるため、お米の収量は少なめと聞いた。

バンコクでは洪水を防ぐため、土嚢を積む、川に舟を並べてスクリューの力で水を海に押し流す等の対策が取られたが、はかばかしい効果はなかった。そして12月22 日に至って、最後まで残っていたバンケン区の排水が完了して洪水終結宣言が出た。バンコクの洪水は10月中旬から2ヶ月以上続いたことになる。

■タイ北部チェンライ県の豪雨
チェンライのタムルアン洞窟、少年12人と男性コーチが洞窟に閉じ込められてから18日目、作業開始から3日目、世界が注目した救出劇は、全員の奇跡の生還で幕を閉じた。日本にいたので知らなかったが6月下旬のチェンライは大雨続きで時には凄まじい音を立てて豪雨が襲ったそうだ。通常、1時間足らずで降りやんで、すぐに陽が差して渡る風は爽やか、というのがチェンライの雨季の特徴であるが、1日中降り続くという日もあったとか。市内から60キロほど離れているから、確かなことは言えないがタムルアン洞窟あたりでも例年にない雨量だったのだろう。急激な洞窟内の増水は日本と同じく異常気象によるものかもしれない。

自分は7月1日にチェンライに戻ったのだが、2日から6日まで連日テニスができたし、7日、8日の週末も大雨とはならなかった。7月に入っての安定した天候で洞窟内の水位が下がり、水中脱出の決断となったのだろう。救出にはタイ海軍特殊部隊から40名、各国から50名の潜水士が参加した。少年1人に対し前後に2人の潜水士が付き、水中に貼られたロープを手繰りながら地上に脱出した。テレビには歓呼の声に迎えられる外国人潜水士の姿も見られた。

救出された少年たちにはW杯ロシア大会決勝戦への招待券、地元、チェンライユナイテッドの生涯無料招待券が贈られている。でも少年たちは奇跡的に生還できたことへの感謝を込め、退院後に仏教寺院での短期間の出家修行に出るという。まさにタイらしい話と言える。