よしなしごとですが
■今年は涼しかった
我が家にはエアコンがある。8年前にこの家を借りたときからあった年代物で縦40僉横120僉部屋の中に突きだしている部分だけでも20僂箸いβ膩織┘▲灰鵑澄こちらに来て最初の年は使った。ジェット機の離発着の時のような轟音が出る。うるさくて眠れない。冷却能力はそれほど高くない代わりに消費電力は高く、電気代を見てびっくりした。といったわけで今、エアコンは部屋の飾りとなっている。
自分の部屋は西日が当たる。蓄熱体となっているので夜になっても壁に触るとポカポカと温かい。タイは4月、5月の2ヶ月が最も暑い。いわゆる暑季だ。夜間(夕方から翌朝まで)の最低気温が摂氏25度以上ある夜を熱帯夜という。だが暑季であっても夜間の気温は22-23度に下がるからチェンライには熱帯夜はない。但し、壁暖房完備の我が部屋は夜の室温が30度だ。ベッドに横たわるとベッドに触れている部分が汗で濡れてくる。寝苦しい。耳栓をしてエアコンを入れようかとも思うが扇風機で何とか凌ぐ。子供の時、母から扇風機をかけたまま寝ると心臓麻痺になって死ぬ、と脅かされた。その恐怖が払拭されているわけではないが、暑いので扇風機をかけたまま寝る。起きた時に、ああ、まだ生きていたとは思うが、寝覚めは決して爽やかでない。
昨年の暑さは半端でなかったので、兄とプール付き、朝食付きのホテルに何度か避暑に行った。大して高くないし、やはり冷房があるとぐっすり眠ることができる。今年も、と思っていたが、寝苦しい日がほとんどなくて6月を迎えてしまった。自分の体が暑さに慣れてきた、というわけではなく友人たちも今年の暑季は過ごしやすかったね、と言っている。
■書き足し
プレーの旅行記を数本書いている。旅の話がアップされている間ずっと旅行しているのではないか、と思われる方がおられるが、プレーに行ったのは4月の下旬、それも1泊しただけ。モーホームを買って博物館を見学した、という体験だけなら、感想も含めて1本に収まると思うのだが、その後聞いたこと、読んだことを何でも書きこむので冗長となってしまう。申し訳ない。
中村中将がコボリのモデル、という話は前から知っていた。それを確認するため、「メナムの残照」や原作者の「トムヤンティ」で検索したら、どんどん話が広がっていく。そういえば日本で放映されたTVドラマ「メナムの残照」を全編視聴したことがある。原作はもちろん、ドラマも突っ込みどころ満載で、これだけでブログ1本になってしまう。空襲を受けたバンコク市内にアンスマリンが、愛するコボリを探しに行き、丸太に挟まれた瀕死のコボリを発見する。死にかけのコボリとアンスマリンのやり取りが確か4週に渡って続く。あまりにもばからしいが、このシーンがタイ女性の紅涙を絞ったのだ、と思えば、非難するほどではない。
トムヤンティは日本の兵隊さんとの思い出を書いている。彼女が子供の時、質の悪い縫い針を曲げて、魚釣りをしていた。全然釣れない彼女を見て兵隊さんが大笑いをした。でも次の日、その兵隊さんは本物の釣り針を持ってきてくれた。こういった日本兵士とタイの子供との交流は無数にあったことだろう。ドラマだけで対日感情がよくなったわけではない。
■フェイスブック
原稿を書いていて、あ、この写真があれば、と思うことがある。もう少し博物館の写真を撮っておけばよかった。プレーの旅も始めは書く積りがなかった。書くと決めていれば写真の撮りようがあるというものだ。
友人の中には食べるもの、見るもの、会う人なんでも写真に撮る人がいる。そしてフェイスブックにアップする。アップを常に意識して写真を撮っている。
自分もフェイスブックに参加しているがこれほど熱心ではない。何年か前、我が家にやってきた大学後輩の記者がフェイスブックをセットしてくれた。彼が最初のお友達だ。その後ポツポツとお友達登録をした。でもこれを続けるとすごい人数になるし、その情報を読むだけで1日が過ぎてしまう、そういった恐怖を感じ、登録をパタリと止めた。依頼者の中には俺を友達と思っていないのか、と不快に思う方もおられるかもしれないが、決してそうではないことをご理解頂きたい。登録依頼の中には息子や娘もいるがお友達以上には思っている。
学校や仕事で知り合った人が「知り合いでは」と紹介されると、ああ、元気にやっているのだな、と嬉しくなる。でもバンコクのきれいなお姉さんや行ったこともないインドのおっさんが「知り合いでは」といわれると、はて?と考え込んでしまう。
写真はメナムの残照とチェンライで行われていたリンチー祭りから