チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

残暑は厳しいが

f:id:hidenaka24:20200819085733j:plain

フォルツァ、京浜島で

 

f:id:hidenaka24:20200819085813j:plain

お台場海浜公園

 

f:id:hidenaka24:20200819085817j:plain

同上

 

f:id:hidenaka24:20200819085822j:plain

観光船が見えた

 

f:id:hidenaka24:20200819090157j:plain

フォルツァ、中古で5年落ち

 

f:id:hidenaka24:20200819085842j:plain

お台場、夜はこんな風に見えるらしい。


残暑は厳しいが

 

■命に関わる暑さ
「You might think today’s hot」、これは「言うまいと思えど今日の暑さかな」と訳すそうだ。それにしても暑い。静岡県浜松市で8月17日の午後に41.1℃を観測した。2018年に埼玉県熊谷市で記録した、41.1℃に並び国内最高気温のタイ記録となった。気象庁では体温を越える気温となると、「かなり危険」という言い方をする。熱中症のリスクが高いということだ。ニュースでは命に関わる危険とも言っている。外出したら100%熱中症で倒れるようなことを言っているが、ニュースでは通行人がのんびりと「暑いですね、やりきれませんわ」、「アツーい」(子供)と言っている。暑いけれどすぐに倒れるようなことはない。感染者が増えても幾何級数的に死者が出ないのと同じ。
チェンライでは4,5月の暑季、気温40度以上の日はざらにある。タイの家屋は夏用にできている。天井が高く、窓が広い。エアコンを入れても効率が悪い。我が家にもエアコンの部屋があったが、騒音と冷房効率の低さから移住当初から冷房を使用しなかった。扇風機だけでなんとか凌いだ。
気温40度以上となると、ベッドも机も戸棚もどこを触っても熱い。小学生の時に読んだ本に、中東諸国ではバスの一番涼しい席は、人が立ったばかりの席です、と書いてあった。ホントかなあ、と思っていたが、事実であることをタイで知った。
日中40度超となる日でも朝の気温は22-23度ほどであるから、毎日のようにテニスに行っていた。ただし、10時を過ぎると急激に気温が上がってきて汗が滝のように流れる。
帰宅してシャワー、パソコンへ向かうのであるが、顔や腕が汗で濡れてくる。また水シャワーを浴びる。タイ人と同じく、1日に何度も水浴びをする習慣ができた。でも夕刻となると気温が下がってきて、「風の音にぞ驚かれぬる」の爽やかさを感じる。そう、チェンライには熱帯夜はない。東京は1晩中30度を下回らないような日がある。エアコンがなければかなり体に堪えると思う。それに東京の暑さは湿度を伴っているから、不快さが倍増する。エアコンのある部屋に籠っているから何とも言えないが、東京の夏のほうがチェンライより体感的に暑いと思う。

■四季のありがたさ
しかし、この暑さもいずれ過ぎ去る。あと2,3週間もすれば秋が来て、日差しが柔らかくなり、木々の紅葉が始まる。四季がはっきりしているという点でやはり日本はいいなあと感じる。
桜が見られるのも今年が最後かなあ。裏を見せ、表を見せて散るモミジ、自分も散りどきを考えねばなあ、と神妙な気持ちになるのは年のせいばかりでなく、やはり日本に住むからであろう。北タイでも俳句を嗜む人は少なくないが、年がら年中、Tシャツに短パン、バナナは何時でもあるような土地柄では季語が難しいし、季節の移ろいを表現することも楽ではない。チェンライにも雨季、乾季、暑季とあるが、季節にあまりけじめがなく1年が過ぎていく。月日のたつのも夢のうち、浦島太郎は東南アジアのどこかに流れ着いたのだろう、と書いたことがある。今もその考えは変わらない。2006年にウズベクへ赴き、8カ月の日本暮しを挟んで2020年までチェンライに居住していた。この15年はあっという間に過ぎた。邯鄲の枕、黄梁一炊の夢であったのか、それとも単なる南方ボケなのか。

■暑くてもツーリング
話変わって、スクータの話。前に乗っていたホンダフージョン(250㏄)は座席シートがボロボロだったし、エンジンもいまいちでいくらか信頼性に乏しかったので、あまり遠出はしなかった。7月のある日、家から1キロほど走ったところで、スクータから異音がした。これはおかしいと、Uターンしたが、家から500mほど手前で走行できなくなった。エンジンはかかるが馬力が駆動部に伝わらない。ベルトが切れたらしい。500mを休み休み、鉄の塊となったスクータを押して帰宅した。息子が引き取ってスクータは廃車となった。1月ほどして息子が中古のフォルツァを購入し、貸してくれることになった。嬉しい。8月9日に到着、チェンライで乗っていたスクータと同型車だから、運転しやすい。

気温35度以上となった17日にはお台場公園まで行ってみた。休日ではなかったが、人口海浜には家族連れやカップルが散見された。知らない間に風景も変わってユニークな高層ビルが林立している。風景を撮りながら波打ち際で遊ぶ若者の写真を撮った。この暑さの中、砂浜で体を焼いているラテン系ビキニ美女が2名いたのだが、いくら望遠でも犯罪行為になる恐れがあったので、肉眼で見るだけにとどめた。