チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ミャンマーの旅(14)

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ミャンマーの旅(14)

■イワラジ河で経を唱える
バガンは城壁と西側のイワラジ河に囲まれている。歴史考古学博物館の裏手にはイワラジ河が流れており、河沿いには一泊1万円以上の高級ホテルがある。タイもそうであるが川沿いには高級ホテル、豪華レストランが軒を連ねている。
イワラジ河は現在エーヤワディ川と名前を変えているが自分にとってイワラジ河のほうがしっくりくる。竹山道雄の「ビルマの竪琴」を「ミャンマーの竪琴」と言わない気持ちに通じる。
川沿いに展望台があって、川を一望できる。展望台から砂地の川岸に下りてみた。バガンからマンダレーへ遡る船も係留されている。サンセット・クルーズの船も出るらしいが時間的には早すぎる。砂地に乗り上げた舟を眺めていると、船頭が貸し切りで一回り1万5千チャットでどうか、と誘う。ウーンと渋っていると、20人は乗れる大きめの舟に邦人らしい家族連れが乗ろうとしていた。あの船ならついでだから5千でいいよ。

まあ日本円で400円くらいなら妥当か。同舟の一家は、ヤンゴンに勤めている息子さんが、千葉からのご両親と弟さんをガイド付きで案内しているとのことだった。舟は川に乗り出す。川幅は1キロ以上、チェンセーンから見るメコン河よりずっと広い。茶色の水はどちらに流れているかわからないほど静謐だ。乾季だからこれでも水量は少ないのか。それにしてもとても泳いで渡れる川ではない。

インパール作戦で「イワラジ会戦」というこの川を挟んでの英連邦軍と日本軍の戦いがあった。日本軍は渡河の際、貴重な軍事物資の多くを失っていた。戦車、航空機の物量で凌駕する英連邦軍の前に日本軍は決定的な敗北を喫する。この川に流され命を落とした日本将兵も少なくない。
タイ人は日本人と言うだけで好意的な目で見てくれる、ミャンマー親日国だ。ミャンマーの教科書では日本は多大の犠牲を払ってミャンマーの独立を手助けしてくれた、と教えている。自分が北タイやミャンマーで差別を受けることなく、暖かく接してもらえるのは、70年以上前の先人の働きがあってのことである。だから自分は、インパールへ進軍し、そして散った先人に感謝の念を持っている.

舟の舳先に立って手を合わせ、短いお経を誦んで、回向のまねごとをした。舟の右手に金色に輝くブ・パヤのパゴダが遠望できた。このパゴダは空しく溺死した日本兵士を静かに見送ったのだろう。

■タビニュ寺院で見落としたもの
バガンには12世紀半ばバガン王朝第4代王アラウンシードゥーにより建立されたタビニュ寺院がある。バガンでも最も高い61m(65mの説もある)の尖塔を持つ。2015年8月24日17時05分にバガンマグニチュード6.4の地震が襲い、バガンの仏塔のいくつかは被害を受けた。タビニュ寺院も回廊、テラスなどに亀裂やずれを生じ、入場禁止となっていた。この寺院の前に僧院があり、その敷地内に日本陸軍第33師団の慰霊碑がある。実はバガンにいるときは慰霊碑があることを知らず、寺院だけ見ただけで通り過ぎてしまった。わかっていたら線香を手向けたのにと申し訳なく思う。

インパール作戦とは、昭和19年3月に日本陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。補給線を軽視した杜撰な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞となっている。果たして日本将兵は無駄死にしたのだろうか。

■無駄ではなかった
インパール作戦には、インド独立運動を支援することによって、連合国軍の後方戦略を撹乱する目的が含まれていたことから、インド国民軍4万5千人のうち6千人が日本軍と共に参加した。
作戦に投入された日本軍は9万2千人、対する英連邦軍は約15万人であったが、70%はインド人であった。更にナイジェリアから連れてきた黒人を前線で戦わせたことも明らかになっている。

インドではこの作戦を「対英独立戦争」と呼んでいる。戦後、英国はインド国民軍兵士2万人を国家反逆罪で裁こうとした。そのためインド各地でスト、暴動が起き、英国は数百年にわたって植民地支配を続けてきたインドの独立を承認せざるを得なくなる。ロンドン大学のE・ホプスバウ教授は、インドの独立はガンジーらの非暴力の独立運動ではなく、インド国民軍と日本軍がインドに侵攻したインパール作戦によってもたらされたと述べている。インド国民は独立戦争を共に戦った日本に今でも深く感謝している。作戦は失敗したが大きな目的の一つは達成された。日本将兵の死は決して無駄ではなかったと言うべきではないか。



写真はタビニュ寺院とイワラジ河