チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ミャンマーの旅(15)

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ミャンマーの旅(15)

■朝のベッドで
バガンを代表する音とは何だろう。それは馬車を牽く馬の蹄の音だ。ゲストハウスは通りに面しているので、朝暗いうちから軽やかなリズムが枕元に近づいてきて、そして遠ざかっていく。バガンの馬は小型で大人しく、暑さに強い。チンギスハーンの蒙古馬は小型だったという。バガンには元軍が侵攻してきたから、恐らくバガンの馬は古くはモンゴルの大平原を疾駆していたのではないか。ランパンの花馬車の馬も小型であり、元軍と戦ったモン族によってもたらされたというからバガンの馬と共通の祖先をもつに違いない。

馬車はやはり2人で乗るものだ。朝、シュエサンドー寺院に登り、朝焼けに浮かび上がる荘厳な仏塔群に息を呑む。そのあとは馬車でホテルへ戻る。傍らに坐る妻の肩に「寒くないかい」と言いながら自分のマフラーをそっと掛ける。「バガンの夜明け、素敵だったわね。思い切って来てよかったわ。あなた、ありがとう」。以上は空想である。

実際、これくらいサービスしていればカミさんに追い出されずに済んだのかなあ、とゲストハウスのベッドの中で思った。でも、時すでに遅し。最近は、旅に出ると何かにつけて人生を反省する仕儀に陥る。以前は心の片隅でアバンチュールを期待しながら旅に出たものだが、仏跡を辿る旅は、懺悔、懺悔、六根清浄、やはり反省が相応しい。

■ローカル便
バガンには4泊した。バガンからヤンゴンへ飛ぶ便は朝8時発だ。6時過ぎ、まだ暗いうちにGHを出た。空港までのタクシー代は5千チャット、400円ちょっとだ。
バス、タクシー、鉄道に比較してミャンマーの航空運賃は高い。ヤンゴンまで片道180ドル、距離は600キロくらいだから、日本国内、例えば東京から大阪とか岡山の航空運賃よりも高い。ミャンマーは民族紛争があって、陸路ではいけないが飛行機でなら、という都市もあり割高であることも仕方ない。
ヤンゴンへの直行便は2万円だが、寄り道をしながら行く便は4割ほど安かったので、急ぐ旅ではなし、そのローカル便にした。使用機はATR-72-600、仏伊合弁のATR社製造の72人乗りのターボプロップ機だ。プロペラ機だからエンジン音がグオン、グオンと次第に大きくなっていく。エンジンの音、轟々と、だ。親しみを感じる。

機内は韓国人の団体客でほぼ満席、仏跡めぐりの旅なのか、おばさん集団と坊さん一人、それに何かと声をかけておばさんたちを笑わせるおじさん添乗員。機は飛んだと思ったらすぐヘーホーという空港に着陸した。あとで知ったが観光地で名高いインレー湖はここヘーホーから行く。おばさんたちがどっと降りて機内には自分とファランの家族連れが残された。しばらくすると今度はイタリア人の団体が乗り込んできた。機は飛ぶとまたすぐに着陸した。マンダレー空港だ。イタリア人と入れ替わりにまた韓国のおばさん集団が乗ってきて、マンダレーからヤンゴン空港に着いたのは昼過ぎだった。

■日本人墓地
ミャンマーの旅で行かなければ、と決めていた場所が一つだけあった。それはヤンゴン空港からほど近い日本人墓地だ。インパール作戦で戦没した将兵の鎮魂碑があまたある、と聞いていた。自分が北タイで差別されることなく、心地よく暮らせるのは先の戦争で散った先人たちのお陰だと感謝している。その気持ちを表すことは義務ではないか。
空港からタクシーで約15分、アウンミンガラー・バスターミナルの裏手に墓地はあった。タクシーを待たせて、公園墓地の門に入る。左右の慰霊碑や石灯籠を見乍ら木々に囲まれた道を進むと、正面に大きな鎮魂廟が見えた。廟に上がると年配の女性が火のついた線香をそっと差し出した。線香をたて、鎮魂碑に向かって頭を下げ、短いお経を唱えた。記名帳があって、名前と共に金額を書くようになっていたので、線香代として多少の金額をタンブンさせてもらった。

この墓地は従来のタムエ・チャンドーの旧日本人墓地が、1999年ヤンゴン日本人会 によって移設されたという。墓地公園の壁側は明治時代からの墓がある。多くは10代、20代の女性の墓だ。長崎県のある地方の出身者が多い。明治44年に26歳で亡くなった女性の墓にはただ、「故ナカ子之墓」と刻まれている。その昔、ラングーンは英国植民地の主要都市として大変栄えていた。からゆきさんや一旗揚げようという明治男子が多く渡航してきていたという。

慰霊碑の碑文を丁寧に読み、明治時代の故人に思いをはせているうちにあっという間に時間が過ぎていった。タクシーの運転手に珍しく多額のチップを渡したのは墓参の効果あってのことと思う。


この日、ヤンゴンからバンコクに移動しました。15回にわたりました「ミャンマーの旅」はこれにて終了とさせて頂きます。