チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ウィーンフィルとともに元旦

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

ウィーンフィルとともに元旦

■年末から新年へ
あけましておめでとうございます。今年が皆様にとりましてよき年となりますよう、お祈りいたしております。

チェンライの元旦は穏やかに明けた。最低気温16度、最高気温29度、晴れ。前日の大みそかには20時ころから団地のどこかで下手なカラオケ大会が始まって聞くに堪えない。耳栓代わりにブルートゥースでカラベリやフランク・プゥルセルの曲を聴きながら早めに就寝。12時ごろ、カウントダウンが始まったのか、団地内でも派手に花火が打ち上げられ、騒々しさにちょっと目が覚めたが、そのまま寝入ってしまった。チェンライ市内では例年の如く、黄金の時計塔のあるバンパプラカン通りには屋台がひしめき,ステージでは有名歌手が歌ったり、山岳民族が踊ったりしたことであろう。

何回か女中さんに頼まれて、チェンライのカウントダウンを見物したが、あまり変わり映えしない。観光客のファランが酔っぱらって大騒ぎしていて、東方の君子国から来た身としてはいくらか興ざめする。新年に変わって帰宅する際、必ずと言っていいほど交通事故に遭遇する。泥酔して2人乗り、3人乗りのバイクを飛ばすのだから、混雑した道路で接触、転倒は当たり前だ。軍政になって交通違反の取締りが厳しくなったというが、是非、タイの文化、酒酔い運転を根絶してほしい。

暮に慰安婦問題の日韓合意のニュースがあった。でも、もう合意しちゃったわけで、今更、怒っても、悲しんでも仕方がない。合意事項をどう遵守していくかで両国の器量が問われるのだろう。それよりも暮にテニスを月曜から土曜まで6日連続やったことのほうが個人的には大きなニュースである。概ね、練習の後、6ゲーム先取のダブルスの試合を3つ。市営コートは9面あって、日蔭ができる3つほどのコートを除けばいつも空いている。ということは相手さえいれば常にゲームができる。乾季とはいえ、2時間もコートを走り回れば汗でびっしょりになる。あー、今日もいい汗をかいた、という満足感に浸れる。連日3セットではプロ選手並みの強行軍。膝の関節や腰椎のつなぎ目が磨り減ってしまうのではないかと思い、27日から休んでいる。足腰に痛みはないので、3が日でも練習くらいやりに行くつもり。体を動かせる内がハナだ。

■餅と日本酒で
元旦は暮に作った煮物や出汁巻き卵、日本人会の餅つき大会で手に入れた餅の雑煮、それに大事に保管しておいた純米の大吟醸酒を出す。餅と酒さえあれば新年が祝えるというもの。朝食後、友人からもらった膨大なデータの中からウィーンフィルの新年コンサートを選び出した。2014年の録音、この年はダニエル・バレンボイムの指揮、毎年、有名な指揮者が招かれる。2002年には日本人として初めて小澤征爾がこの新年コンサートの指揮を執っている。

観客はもちろん正装、居ずまいを正して聴いている。こっちは酒が入って、Tシャツに短パン、居ながらにして、どころか、寝ながらにして超一流の演奏を楽しめる。朝に飲む日本酒は効く。グラスに2杯しか飲まなかったのだが、スピーカから流れるワルツやポルカを聴くうちに寝入ってしまった。昭和の御世に生まれ、平成を生きる一老人の至福の時か。それでも2時間を超えるコンサートの終わり近く、シュトラウス皇帝円舞曲の頃に目が覚めた。最後はお馴染み、ラデツキー行進曲だ。紳士淑女の観客もこの時は手拍子を打って演奏に参加する。

十数年前、池袋の東京芸術劇場で行われた在京交響楽団の新年コンサートに行ったことがある。チケットの番号を抽選して、当選者はラデツキー行進曲を指揮できるというしゃれたサービスがあった。チケット握りしめて当たったらどうしよう、とドキドキしたことを思い出す。

■午後も夜もウィーンフィル
昼食後、スクータで市内視察、通常の休日と同じく、8割ほどの店は開いているし、時計塔裏の市場には野菜、果物が並んでいる。セントラルプラザはまだクリスマスの飾りつけが一杯。2時過ぎというのに食堂街はどの店も満杯、やはり正月か。

帰宅して年賀のメール返事を書きながらフランツ・ウェルザー・メスト指揮の2011年の新年コンサートを聴く。横になったらまた寝入って、皇帝円舞曲の時に目が覚めた。画面では少年少女がバレーを踊っていた。夕食後はマリス・ヤンソンス指揮の2012年の新年コンサートをバックミュージックに原稿書き。

こうして2016年の元旦は過ぎたのだが、母も変わりはないし、朝寝、昼寝もできたし、そう悪くない年の出だしではなかったかと思っている。




写真は元旦のセンタンから、クリスマスツリーだらけ。下3枚は2日の団地であった初タンブン