チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

令和5年を迎えて

 

花祭りから

これは新種か

花祭り

同上

サムロー



令和5年を迎えて

あけましておめでとうございます。旧年中はいろいろとお世話になりました。本年が皆様にとりまして素晴らしい年となりますようお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

■正月の思い出

1年を恙なく生き延びて、令和5年の正月を迎えることができた。この年になるとあと何度正月を迎えることができるのか、などと考えてしまう。でも何の心配もなく雨露を凌ぎ、口に糊する生活を送っている、これだけでもありがたいと思える。「人古く 年新しく めでたけれ (青邨)」といったところか。

暮の日本人会の餅つきで入手した餅で雑煮を作り、チェンライで調達した日本酒、蒲鉾、鯛(テラピア)の塩焼き、海老、それに今年は日本から送ってもらった昆布巻き、アワビ、黒豆、田作り,栗きんとんなどが加わって豪華な正月料理となった。ケジメのない人間ではあるが、正月くらいはこれまでの習慣を続けたい、という気はある。何十年も前、若い父母がいて我々3兄弟がいてお正月を祝った頃を懐かしく思い出すのも同じ白味噌仕立ての雑煮があるからだろう。お年玉をくれる人はもういないけれど・・・。

子どもの頃はよかったが、いくらか長じるに従って1月は苦しい月となった。学校に行っていた頃は期末試験、受験が1月下旬からが始まる。日頃勉強していないものだから、友人のノートを借りる算段、全然、頭に入っていない参考書やら教科書、これで試験をのりきれるのだろうか。「実力無き受験生の悲しさよ、受ければサラサラとボーダーラインの間より落つ」。

学校を出てからも暫くは正月の酒を飲んでいて、あれ、オレ、こんなにのんびりしていていいんだろうか、といういわれなき不安に襲われたものだ。人知れずドキリとした後、ああ、もう試験受けなくてもいいんだ、と胸をなでおろして飲み続ける。この不安が消えるまでに30年は要したと思う。チェンライの生活には試験も何にもない。ゲゲゲのゲの楽しい生活を送るようになるとは思ってもみなかった。有難いことである。長生きはするもんだと思う。

 

■陛下のお言葉

チェンライの元旦は晴れ、日中の気温は26度ほど、風はなく穏やかな日だった。何となく 今年はよい事 あるごとし、という予感もあるが、それは久しぶりの日本酒に酔っていたからかもしれない。

元旦のテレビニュースは、まず習近平主席が出てきて、2023年を中国共産党の精神を全面的に実施する幕開けの年として、中国社会主義の持続的発展を推し進めるなどと言っていた。次にプーチン大統領が出てきて、今回の戦争が根本的に米国をはじめ西側諸国との対決であり、そこでロシアが勝っていると強調し、祖国防衛戦争に勝ち抜く、とウクライナ侵攻を正当化していた。

この二人のあとに天皇陛下の新年にあたっての国民向けのビデオメッセージが流れた。なんで習近平プーチンのあとに陛下のお言葉が流れるのか。日本のテレビならまず最初に天皇陛下のお言葉を放送すべきではないか、年の初めからふざけるな、非国民め、と目出たい気分も吹っ飛んでしまった。でも、前座二人のあとに、真打を持ってきて正解ではななかったか、とお言葉を受け賜わったあとに思い直した。

というのはお言葉の中に「海外に目を向けると、感染者数が増加している国も多く、中には、ワクチンが手に入らなかったり、必要な治療が受けられない人々も大勢おり、このような状況が早く改善することを願っています」と暗に中国を指しているのでは、と思われる部分もあるし、「新年に当たり、我が国、そして世界の人々の幸せと平和を祈ります」と間接的にプーチンに釘を刺されていると受け取れる部分もある。

陛下は常人には到達できない高みから世界をご覧になっていると拝察する。権力欲丸出しの習近平プーチンのあとに私心が全く感じられない陛下のお言葉を拝聴すると心が清められるような気になる。わかってそうしたのかどうかはわからないが、地上波にしては粋な計らいだったと思う。

 

花祭り

元旦の午後、メ―コック川沿いの公園で行われている花祭りに出かけた。例年、この祭りで蘭を中心に百合、チューリップ、コスモスなどの写真を撮る。これでブログ添付用写真、1年分を確保する。公園に続く道路は出入りの車で大渋滞、バイクの駐車も楽ではなかった。公園内は大混雑、久しぶりに人混みを体験、皆、自撮りに一生懸命、親子連れ、カップル、みな楽しそうだ。

気分が高揚していたのか、公園出口から駐車場まで40Bを奮発してサムローに乗った。サムローは初めての体験、下りる時、車夫(放送禁止用語)のおじさんにそう言ったら嬉しそうに笑った。今年はいいことがあるような気分になった。