チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

太陽光パネル

花祭りから

同上

同上

ダリア

コスモス

春や秋の花が一斉に咲く


太陽光パネル

■温暖化はウソ?
今冬、日本海側では大雪となり、九州各地でも降雪が見られた。米国でもニューヨーク州ウィスコンシン州では記録的な寒波で車に閉じ込められて人が死んでいる。アメリカでは寒波で警察機能が落ちるとスーパーが襲われて食料品が強奪される。関東地方でも大雪の予報が出されているが、コンビニが暴徒に襲われる心配はまずない、それだけでも日本はありがたい。

夏に30度以上の日が続くと、これは地球温暖化のせいだ、CO2を減らす努力が必要だ、と大騒ぎする。地球温暖化なら、寒波は緩み、降雪量も減っていいんじゃないかと思うが、世界的な寒波が来ても環境学者は何も言わない。冬は寒く、夏は暑い。これが当たり前で地球温暖化とは関係ない。

縄文時代は現在の気温より2,3度高く、東北地方でもハダカで暮らしていたようだ。縄文人が大量にCO2を排出していた形跡はないから、気候とCO2の量は関係ない。2万年から7万年前の地球は寒い時期で、結氷により海水面が今より100m以上低かったので、日本人の先祖はシベリア地方から陸続きになっていた日本列島に渡ってきた。その後の温暖化で、地上の氷が解けて海に流れ、海水面が上昇して今の日本列島になったという。

人類誕生からの歴史を見ると地球は寒暖を繰り返しているが、CO2の多少とは関係がない。国連の気候変動パネルは、とりあえず、温暖化とCO2量は関係があるという仮定のもとに環境問題を考えよう、というスタートであった。CO2 が増えると地球が温暖化するという証拠があったわけではない。でもとりあえずの仮定が独り歩きするようになった。

■霞の議論
経済産業省関連のシンクタンクにいたことがある。活動の半分が環境関係で経産省環境政策課のシェルパを務めていた。あとの半分は社会政治経済関連、自分は後者のグループでアジアの政治経済の担当。隣で環境問題を眺めていただけであったが、メーカー勤めだった自分から見ると環境問題って結構、怪しいな、という印象を持った。

要するにある仮定の下で100年経っても解答の出ない問題を、あーだ、こーだ、と議論するだけ。日本だけでなく世界中で環境問題のシンポジウム、会議が開かれるが、集まるメンバーはほぼ同じ、シンポで意見を戦わせてもあとのパーティではみなハグしあっている。昨日今日知り合った仲ではない。みんな環境で喰っている仲間だ。シンポでは「お互い率直に意見を述べ合う機会が持てて大変有意義だった」で締めくくる。結果を出さずとも研究費、補助金は入ってくるし、世界中飛び廻って「興行」とパーティで暮らす。これを環境ゴロと言わずしてなんという。

COP(国連気候変動枠組条約締約国会議)は1995年に設立された。でもそこで議論されていることはずっと変わらない。COPでは莫大な金額が費やされているが、何か地球環境改善に資する成果があったのだろうか。知っている人がいたら教えてほしい。

■環境破壊の太陽光パネル
2025年4月より、東京都では新築戸建てに太陽光パネルを設置することの義務化が決定した。カーボンニュートラル、CO2削減のためだという。太陽光パネルのほとんどは中国製、ウィグル人の奴隷労働で製造されているというので、米国では輸入禁止EUでも輸入禁止の動きがある。太陽光パネルは発電にCO2は出ないが、パネルを製造する段階でCO2は出るし、20年後には廃棄費用が生じる。

太陽光パネルは北海道や裏日本では雪のため効率が悪い。もちろん夜は発電できない。バッファーのための火力発電所が必要だ。総合資源エネルギー調査会の調査によると家庭用太陽光の発電コストは17.7円/kWhに対し、LNG火力は10.7円/kWhとなっている。太陽光の余剰電力は電力会社が以前は24円/kWh購入してくれるが、一般消費電力に加算されるため、太陽光が普及すればするほど電力価格は高くなる。電力価格の高騰は中国から脱出しようとする日本企業の足かせとなる。EUでは原子力発電、石炭火力に舵を切っているというのにどうして日本は国力を削ぐ太陽光発電に躍起なのだろうか。

太陽光発電事業者の裏には上海電力がいるというし、事業推進には中国の金も動いているだろう。太陽光発電のための土地開発、パネル設置には国会、地方議会に食いこんだ業者の利権となっている。20年後のパネル廃棄にも特定業者が指名されるのだろう。木を切り、山を崩す環境破壊が中国と政治家の利権となる。

COPの学者やNPOばかりでなく、環境の利権に群がる手合いはこれからも増えることはあっても減ることはないだろう。
そして何百年かしたら本当の氷河期が来るかもしれない。でも自分を含め、誰もそれ、見たことか、とは言えない。それが彼らの付け目だ。