チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ8年11カ月

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介護ロングステイ8年11カ月

■年の暮と正月準備
今年も何事もなく年の暮れを迎えた。高松から来ていた弟夫婦はクリスマス前に戻り、また暫く母と兄と自分、3人の生活となる。弟の嫁さん謹製の和食ともしばらくお別れだ。

十数年前、暮になると母は、「もう今年が最後」と言いながらおせち料理を作っていた。御煮しめ、黒豆、昆布巻き、叩きゴボウ、田作りなど毎年の定番だったから、味も重箱の料理の並べ方も鮮明に記憶に残っている。正月に父母と兄弟3人、一家5人でおせち料理を囲んでいた子供の頃が、皆が幸せな時代だったかもしれない。父は亡くなって40年以上経つし、母は92歳で今は寝たきりだ。
バンコクチェンマイでは出来合いのおせち料理が手に入るし、チェンライでも日本食材店で、蒲鉾、昆布巻き、日本酒くらいなら手に入る。チェンライに来たころは苦労して黒豆などを手に入れ、幾つか正月料理らしきものを作って母に食べてもらったものだ。でも今の母には硬いものはムリ、雑煮の餅を少し口に入れるくらい、頂き物の吟醸酒を口に持って行っても顔をしかめるだけだ。自分が正月料理にあまり固執しなくなったのは作っても母が喜ぶわけではないというより、何事にも億劫になるという加齢のなせるワザのように思う。

おせち料理は記憶の中だけで構わないが、せめて餅と酒だけはと、という気持ちは強い。餅は日本人会主催の忘年会の一環で餅つきがあるので、そこで手に入れた。タイのもち米、カオニャオを炊いて、ソムタム作りには欠かせない石臼(クロックという)と石製の擦り棒(サーク)を使えば餅を作れないことはない。日本の餅つき器は便利であるが、変圧器を買い求める必要があり、それに年間を通して餅が食べたいと思わないので自分は持っていない。日本で蕎麦、うどん、パスタ等を作る小型製麺機を持っていたが稼働率は低かった。

■暮の思い出
もう半世紀以上前の話になる。暮に伸し餅が届くと固くならないうちに父が包丁で5x8僂曚匹梁腓さに切り揃えた。エンジニアであったせいか切り方はかなり正確で、端っこの丸い部分は1僂曚廟擇衫イ靴拭K寨茵¬澆論儀遒ら食べるものであるが、切り離した不揃いの小片は暮に食べてもよかった。焼いた餅を暮に食べる、こんなことが幸せであった頃が懐かしい。勉強は学校でやるものと小学生ながら思っていた。やらないと怒られるので、いやいや宿題はしたけれど、悩みのない呑気な子供だったように思う。ストレスのない時代だった。その頃の思い出話を母としてみたいが、もうそれは叶わない。

60年前にちゃぶ台を囲んでいた3兄弟が、図らずもタイのチェンライで食卓を囲むことになって久しい。「この年でいつも飲んだり、食べたりできるのはお袋が兄弟3人を引き寄せてくれたおかげじゃないか」と弟が言ったが、その通りという気がする。

母がもし元気だったらずっと兄と同居していただろうから、兄弟がこれほど時間を共有することはなかっただろう。ましてやお医者さんのご託宣通りに83歳で亡くなっていたら、3兄弟が一堂に会するのは法事くらいだから、元気?、ああ元気、ほどの会話で終わりだったと思う。
もの忘れ傾向が出てきた年寄3兄弟が記憶の糸を辿って、小中学校の恩師のことや釣りに行った話などで盛り上がるのは良いものだ。楽しい会話は免疫系統にいい影響を与えるというし、昔のことを思い出すから、脳も活性化し、認知症になるにしても少しは発症を遅らせることができるのではないか。

■来年は10年目に突入
チェンライに来てもう8年11カ月、来年は丸9年を越えて10年目に突入する。ここ数年、弟や時折やってくる娘から見ると、だいぶ縮んだように見えるらしいが、目立った変化はないと自分には思える。10月には少し咳き込んでいたが今は回復している。ご飯も普通に食べている。バナナとた卵お粥、それにフリカケが主たる食事だ。ニイさんがお粥やバナナの合間に、日本から買ってきた鰻やこちらのナマズを口に運ぶと明らかに反応が違う。自分だって残された欲望は食欲しかないのだから、母にももっとおいしいものを、と思う。でもこの食事だから健康を保っているとも言える。それに変わったものを食べさせると、たちまちブアさんに見破られて、ママさんの体調が悪くなります、と怒られる。介護といっても体調管理を含め、実際はブアさん、ニイさんがすべてみているので、怒られればそうかな、と思ってしまう。

今年も、昨日と同じ日が今日も続く、という感じで過ぎた。でも来年はもう危ないかも、と呟いたらブアさんに去年もその前の年も同じこと言っていた、と笑われた。