チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

心せわしく

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心せわしく

■オークパンサー
チェンライに戻って、まったりとした日を過ごしていることでしょう、と友人からメールを貰った。しかし、日本に居た時と変わらぬ多忙な日々を過ごしている。
まず帰宅早々、オークパンサー(出安居)にぶつかった。安居とは坊さんが一定期間集団で修行に励むことを言う。もともとは梵語で「雨季」を意味するらしい。カオパンサー(入安居)は陰暦8月の十六夜に始まる。出安居は陰暦11月の満月の日にあたり、概ね新暦の10月末になる。安居の間、約3カ月は雨季で、草木が繁茂し、昆虫や小動物が活発に活動する。坊さんが遊行に出ると、虫を踏み潰して、無益な殺生をするかもしれない。だから寺にお籠りする。原則、外出しないことになっているが、外泊しなければ良いらしい。安居期間でもうちの団地には坊さんが托鉢に来ていた。

それでも出安居のあとはスーパーや街に坊さんが溢れだす。溢れだすばかりでなく、お寺の集金活動が最も盛んになる時期でもある。出安居のあとに袈裟奉納、デカティンという儀式がある。これは信者が僧侶に黄色の僧衣を寄進し、坊さんにマハチャート大教典というありがたいお経を読んでもらう儀式である。
寄進されるものは僧衣ばかりでなく、食べ物、お金など。串に挟んだお札で作ったツリー、トーパーパで本堂は一杯になる。

ブアさんはこの時期、軽い躁状態になり、近所の人と一緒にタンブンに走り回る。お寺も日をずらしてデカティン法要を行うから、いくつものお寺に行く。ブアさん達を車で運ぶのが自分の役目、時には僧衣を坊さんに手渡す大切な役を仰せつかる。

寺の境内では信者が焼きそば、チャーハン、果物、アイスクリームなどの露店を出し、集まった人に無料で振舞う。これもタンブンの一つである。
タンブンされた食物は坊さんだけでは食べきれないので、多くは貧しい人に施される。ブアさんはちゃっかり、焼きそばやお菓子をプラスチック容器に入れて持ち帰る。これで我が家は一食助かるわけであるが、個人的にはそれほど嬉しくない。

■PCのダウン
お寺に付き合うくらいはなんでもない。チェンライに戻って以来、パソコンのせいで心の平安をすっかり乱されてしまった。帰宅してPCを立ち上げ、メールを読もうとしたら、安全上の理由で繋がりません、という表示が出た。タブレットでネットは開けるが、PC本体でメールのやり取りができないと不便である。

そのうち、肺気腫患者の肺胞が潰れていくように、網膜剥離で、だんだん視野が狭くなっていくように、次々とニュースやお気に入りのネットに繋がらなくなってきた。ニュースは10月30日付の見出しが固定化されてしまった。新聞なんだからチャンとと更新しろよ、と思っていたが問題はPCにあった。
日本でお世話になった方々のメール配信登録やお礼メール、写真送付などの作業ができない。慣れないことをやって、却ってご迷惑をかけるかと思うと、作業に取り掛かれない。PC風情に心を乱され、まともな考え、行動ができないのは癪であるが、それだけ、PCが自分の精神領域に入り込んでいたといえる。

パソコンを叩いて直す50代、という川柳があったが、叩いても無駄ということは分かっている。どうやら、OSに問題があるらしい。友人の勧めで、タイのパソコンショップにOSの交換作業を頼んだ。PCには2テラのHDを2台装着してある。おまけとしてバックアップの2テラHDが一つ。装着したHDはほぼ満杯に近い形でデータが入っていた。返ってきたPCの中身をみてみたら、HDの一つが空っぽになっていた。OSを入れるために消去してしまったらしい。

一応、作動するようであったが、自分の繋ぎ込みミスで、マザーボードをおシャカにしてしまった。CPUもご臨終。またパソコンショップに駆けこんで、マザーボード、CPUを交換。

ショップは約束の日時に行っても、あ、まだやってない、明日来て、担当者不在でわからない、が何度かあり、予定通りに事が進まない。ここはタイだから、と思っても気が急く。やっと出来上がったPCを友人宅に持ち込み、ソフト挿入を行い、機能を確認した。そのPCが、自宅で立ち上げてみると内部から異音が響き、画面は真っ暗でどうにもならない。交換したばかりのボードの機械的故障とわかる。またPCをショップに持ち込む。

■失われし時を求めず。
半月以上たっても、我がPCは戻ってこない。このままで行くと写真や資料の大部分は失われるだろう。タイでの写真も4年分は無くなる。
考えてみれば、PCに入った写真やデータなど自分が死ねば、誰も興味はなく、一瞬にして誰かが消去してしまうものだ。それが少し早かった、というべきだろう。

日本に居た時、ゴミ集積場に、写真がたくさん捨ててあった。家には父母の写真が箱一杯あるが我々兄弟が亡くなれば、同様に捨てられてしまうだろう。形が無いからデータの方が、始末がいい。HDのデータが消去され、バックアップも思わしくないと判明した時、ああ、自分の過去の一部が消えてしまった、と狼狽した。

でも考えてみれば、それがどうした、古い資料を眺めて郷愁に浸る時間があったら、テニスをやったり、旅行に行ったりする方がずっと生産的ではないか。それにウズでの講義案など見返したことなどないではないか。
古い上着よ、さようなら、だ。生者必滅会者定離、形あるものは滅ぶ。データも消える。だが、この境地になるまで2週間を要した。




写真は高松城、石組みの素晴らしさに感動しました。タイであれば日干しレンガを積み上げたグニャグニャの土塁となります。