チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

我がPC、未だ帰還せず

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我がPC、未だ帰還せず

■諦めの境地に至る
OSを入れ替えた際、PCに装着したハードディスク2台のうち、一つが空っぽにされた。1.8テラのデータが入っていたが、どうやら回復の方法はないようだ。ないようだ、と曖昧であるのはまだ、PCが手元に戻ってきていないので、確認作業ができないからだ。
でも、落胆したくなければ期待するな、という格言もある。もはやデータはないと覚悟している。

何人かの友人からPCダウンお見舞いを貰った。良く諦めが付きましたね、との慰めもあった。OS交換、マザーボード差し替えで、20日以上掛っている。とにかく、約束した日時に作業が終わったためしはなく、担当者がいない、忙しくてできなかった、明日なら…、仕方なく翌日行ってみると、うまくいかないんだよね、また明日来て。
こういう場合、怒っても仕方ありません、にこにこ笑ってよろしくね、と別れましょう、とタイのビジネスマナーの本には書いてある。2度手間、3度手間を繰り返すうちに次第に諦念が醸成されてきて、データが消えたのも定められた運命と受け入れるようになったのである。

思えば写真や作文、授業に使ったデータなど、これから何かに使うものであればとにかく、老い先短い身としては、あってもなくても同じといえば同じ。喪失感は如何ばかりだったでしょう、というお見舞いもあった。でも喪失感といえば、3.11東日本大震災で、写真からPCから家財道具、家屋一切合財、更には家族まで失われた方達の喪失感を考えれば、PCのデータくらいで狼狽してしまう方が申し訳ない。

■代わりのPC
自分と入れ替わりで兄が一時帰国している。それで、兄の空いているPCを借りて原稿を書いたり、メールのやり取りをしている。実質、ブログ更新には問題ないのであるが、やはり自分の慣れ親しんだPCとは微妙に使い勝手が違う。自分のPCであれば漢字変換も思ったようにサクサク進むが、兄のPCではそうはいかない。フェイスブックやメールを開くたびに、パスワード認証を求めてくる。PCに「お前はうちの子でないよ」と言われているような気がして悲しい。

メール配信の文章も改行がいまいちで、読みづらい形になってしまい、ご迷惑をかけた。それでなくても読みづらいのに、というお叱りが聞こえてきそうである。

ゆっくり、日本の思い出を書きたいのだが、何度もパソコンショップに行ったり、女中さんや弟夫婦の買い物に付き合ったり、お寺に行ったり、団地のゲートを1日に数度も行ったり来たりする毎日、何かと気ぜわしく、落ち着いてものを考えたり、友人を訪問して清談に耽る時間が取れない。

年を取ったら、「きょうようときょういく」が大切と書いたことがある。もちろん、教養と教育ではなく、今日、用がある、今日、行くところがある、の「今日用と今日行く」である。社会と関係を持ち、社会のお役に立つ熟年を念頭に置いた言葉だと理解している。でもチェンライに戻って以来、ただ忙しいだけで、自分は全く意味のない「今日用と今日行く」を続けているような気がする。

■体重が元に戻る
とはいえ、ショップは11時開店であるから、天気さえ良ければ朝の日課、テニスには行く。テニスをしている時だけはPCにかき乱された暗い気持が晴れる。また、落ち込んだ表情でいると周りの人も気にする。高松からプチロングステイの弟夫婦が来ているので、いらぬ心配をかけたくない。努めて普通にしている。

日本での3週間、美味しいものばかり食べていたので、体重が2キロ増えた。友人の中には帰国中食べ過ぎて、チェンライに戻ってきた時にはドラエモンのような体形になってしまった人がいる。その人に比べれば、自分はかなり節制したと言える。2,3キロは誤差範囲だ。チェンライに戻ったら、弟の嫁さんが和食を作ってくれる。これが大変美味しい。体重は更に増えつづけるという心配があったが、テニスのおかげか、心に鬱屈したものを抱えていたせいか、日本に行く前と同じ体重に戻っていた。

■小旅行
弟の嫁さんにいつもご飯を作ってもらうのは心苦しい。おさんどんをするためにチェンライに来たわけではないだろう。母の容態も安定しているし、自分が気に病んだところで、PCが早く戻ってくるわけでもないので、ランパン、チェンマイへ2泊3日の旅行に誘った。ランパンは陶器の町として知られている。チェンライで買うより、お皿や茶わんが2割ほど安く買える。半端もののマグカップや茶わんは1つ10Bくらい。弟は1年に2,3度、日タイを往復する。我が家で過ごしてもいいのだが、退職後の第2の新婚生活。家を借りて、自分の趣味の家具や食器を揃えることが楽しくて仕方ないらしい。以前書いたことがあるが、ランパンでもよっぽどよく探さないと、一般日本人の趣味に合致する皿やどんぶりに会えない。ランパンで売られている陶器は一般に厚手でもっさりしていて重い。日本で昔、母が購入した大鉢を手にしてみたら軽くて、薄くて少なからず感動した。形も色合いも品がよかった。

ランパンにも日本の陶工が何人も行って指導しているし、JICAの援助も入っているのだが、同じ陶製の器であっても、日タイの差は歴然としている。追いつけないのか、追いつく意思に欠けているのか。陶器一つとってもタイが中進国に留まっている理由がわかる気がする。

ついついPCのせいで考えることががひねくれてしまう。良くないと分かっているのだが。





写真は横浜山の手あたり