チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ソフトボール交流試合

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

ソフトボール交流試合

■猫の手でも
チェンライにソフトボールチームがある。数年前の発足時は20人近くの元野球少年が旧飛行場に集まった。最初は丸太を削り込んだ手作りバットで練習していたが、次第に用具も参加者も充実していった。野球老人ばかりでなく少数山岳民族の寮の子供たちを入れて、ラチャパット大学のグランドで楽しくゲームをしたものだ。

その後、山岳民族の子供を運ぶトラックの運転手が見つからず、子供が来なくなるにつれて練習参加者が減って、一時は廃部の危機に瀕した。テニスに比べて怪我する可能性が高いし、3,4人では試合もできないし、と自分も第2、4日曜、月2回だけの練習からも足が遠のいていた。

11月のある日、チェンマイソフトボールチームと交流試合をするから出てくれないか、とても9人集まらない、と悲痛な電話が友人からかかってきた。我々兄弟に参加要請が来るとはよくよくのことであろう。南北戦争末期の南軍みたいだ。チェンライ在住邦人のためだ。玉砕覚悟で参加するか。

チェンライは月2回の練習、それも現在ほとんど開店休業、それに引き換えチェンマイは元気一杯。特にチェンマイ近郊に進出している日本企業の壮年が日曜のソフトボール練習にいそしんでいる。日曜のほかに、老人中心に木曜も練習。合計月8回だ。いつも紅白試合が行えるほど人が集まるとか。

ほんの少し情報を収集しただけでも、彼我の戦力の差は歴然としている。チェンライ・チェンマイソフトボール交流戦は今回で4回目となるそうだ。前回、多分3年前だったと思うが、チェンライから60キロほどチェンマイ寄りのグラウンドで行われた交流試合に出た。あの時は確か1勝1敗だった。第一試合は、痛恨のパスボールでサヨナラ負けを喫したと記憶している。

向こうが部員100人、練習環境の整ったPL学園なら、こちらは部員11人の徳島県立池田高校か。池田高校が桑田真澄清原和博を擁するPL学園と甲子園で戦ったのはもう30年以上前になる。我ながら時代離れしていると思うのだが、チェンライ・ソフトボール部の非力さと、強力かつ層の厚い対戦相手を思うとつい古い記憶が蘇ってしまう。

■様式美を感じさせる練習
対戦1週間前の練習に兄が参加した。自分は試合前に怪我をしてはという配慮でパス。兄の話ではドイ・ワーウィでイチゴ栽培をしているKちゃん、ラチャパット大学留学中のSちゃん、それに山岳民族の子供など若手が参加していて当日何とか9人は揃いそうだ、とのこと。若手中心で出場選手の平均年齢ではまずチェンライの勝ち。

当日、市営運動場に行ってみると、我が日泰混成軍が練習していた。山岳の子供が3,4人でキャッチボール、グランドではノックと守備練習、兄とだらだらとキャッチボールを始める。大腿骨のカルシウム含有量も減っていることだし、あまり過激な運動はしたくない。

やがて、チェンマイを午前5時45分(まだ真っ暗)に出発した相手チームが到着した。揃いのユニフォームに着かえるときびきびと練習開始、声を掛け合って、内野ノックは一人4本、最初は一塁、次に2塁、ホーム送球、乱れなく次々に人が入れ替わっていく。

向かい合ってのキャッチボールも見ものだった。全員が足元にボールを転がす、拾い上げたらゴロで返す。初めはボールがノーバウンドで届かないのかと思ったが捕球の練習だった。練習メニューはあらかじめ決まっていて、まるで様式美に裏打ちされた日本芸術を見るようだった。日本人てすごいね、とタイの子も感心したのではないか。

■実力通りの結果
ソフトボールの場合、センター、レフトの守備が大事。チェンマイは元高校球児みたいな進出企業サラリーマンがフライをほとんどキャッチしてしまう。こっちのセンター、レフトは山岳の少年、この差が勝敗を分けたように思う。

第一試合1回の表、深く守っていたライトが大飛球をまさかのナイスキャッチで無得点に抑えると、我がチェンライはその裏、先取点をあげた。戦さはやってみないとわからない、と大東亜戦争開始前の帝国陸海軍みたいなことを考えたが、その後はずるずると押され、結果は31対8。最終回には一挙に15点取られるなど完敗であった。また第2試合を投げ切ったチェンマイの80歳の投手には脱帽。怪我を心配して力を抜いた自分が恥ずかしい。

フライをキャッチされても一塁走者の山岳の子が二塁に走り込むなど、珍プレーには事欠かなかったが、怪我人が出ず、楽しい時を過ごせたのは何より。あとの懇親会が盛り上がったのは言うまでもない。