チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

大東亜戦争

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大東亜戦争

■戦争目的
12月8日、72回目の開戦記念日迎えたが、NHKの国際放送では目立った言及はなかった。8月15日の敗戦記念日には特別番組を延々と流す。これに比べると素っ気ない。

タイの首相を務めたククリット・プラモート氏は1955年にサイアム・ラット紙で次のように述べている。

「日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米英と対等に話しが出来るのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの二つの日をわすれてはならない」。

戦争を行うに当たって「戦争目的」というものがある。日本の戦争目的の一つにアジアの解放があった。戦前、アジア、アフリカは殆ど欧米の植民地だった。戦後、アジア諸国は次々と独立を果たす。アフリカもそれに続く。

一方、米国の戦争目的は何だったのか。白人に盾突いた小癪な黄色人種を叩き潰すことだったのか。それもあっただろうが、日露戦争後のハリマン提案に見られる如く、米国の野望は広大な支那に米国の経済的覇権を打ち建てることにあった。しかし、支那は共産化し、米国は戦勝による利権は何も得られなかった。それどころか米国はフィリピンを失い、英仏蘭も気がつけばアジア、アフリカの植民地を失い、2等国になり下がる。
大局的に見て、勝ったのはどちらだったか。

■戦争の呼称
最近は「大東亜戦争」という呼称が一般化してきた。日本は「太平洋戦争」を戦ったのではない。大東亜戦争の名称は1941年12月10日、開戦直後に「今次の戦争を大東亜戦争と称する」と閣議決定されている。そしてこの戦争を「大東亜新秩序建設を目的とす」とアジアにおける欧米の植民地支配の打倒を目指すものであると規定した。
1945年12月15日にGHQがいわゆる「神道指令」を発して「大東亜」という単語を使わないように命じた。それ以来、マスコミは占領が終わっても米国の命令通り太平洋戦争の呼称を使い続けている。

話は飛ぶが、NHKの大河ドラマ平清盛」で、天皇を「日王」と呼称し、物議をかもしたことがある。NHKの釈明は、当時、天皇という呼称がなかったから、というものであった。この理屈で言うと日本が戦っていた頃は太平洋戦争という言葉はなかったのだから、一貫して大東亜戦争を放送用語とすべき、ということになる。

■米国が「大東亜」を嫌った訳
なぜ「大東亜」がよくないのか。それは1943年11月、東京で行われた「大東亜会議」に遡る。左翼史観では、日本がアジアの傀儡政権を集めて、宣伝活動をしたくらいにしか考えられていない。しかしアジアの目から見れば、この会議は世界で初めて各国が対等な立場で参加し、人種平等、欧米の植民地主義打破を叫んだ会議である。

会議冒頭、東條首相は「洵(まこと)に米英両国の抱く世界制覇の野望こそは、人類の災厄、世界の禍根」とし、日本に対しても経済断交をもって屈従を迫ったので、自存自衛のため開戦のやむなきにいたった経緯を述べた。
そして「大東亜各国は正に其の自主独立をば尊重しつつ、全体として親和の関係を確立すべきもの」と「万邦共栄」の理想を謳いあげた。「自主独立」の言葉は、この後、各代表の演説で繰り返されるモチーフとなる。戦後、AA諸国29カ国が集ったバンドン会議で採択されたバンドン10原則にも大東亜共同宣言が引き継がれている。

人種差別を国是とし、再びアジアを白人の植民地にしようとしていた米国にとって、アジア自主独立の理想は都合が悪かったのだ。
因みに、東條首相は死ぬまでこの会議を開催したことを誇りに思っていたという。

■歴史を見直す
お前の爺さん、父さん達は皆、人殺しで強姦魔ばかりだ、と聞かされ続けていたらいい子に育たない。
なぜ、日本は戦争をしなければならなかったのか、どう戦ったのか、なぜ負けたのか、正義は連合国側にだけあるのか・・・。歴史は戦勝国によって書かれるが、それをすべて受け入れる必要はない。大東亜戦争の意味を日本という国体を通して見る必要がある。それが日本を取り戻し、誇りある日本を後世に残すことに繋がる。

ククリット元首相は8月15日を日本が病の床に伏した日と述べている。米国の支配下にある日本は未だに病の床に伏していると言っても過言ではない。


写真はアカ村で撮影。