チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラオス、アカ族の村を訪ねる 24

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ラオス、アカ族の村を訪ねる(24)

■ポンサリ名物
ポンサリ県はラオス最北端、中国雲南省ベトナムディエンビエン省と国境を接している。ポンサリ県の面積は16,272平方キロというから東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県の一都3県を合わせた面積よりも広い。そこに13の少数山岳民族を中心に18万人弱(180万の間違いではない)の人が暮らしている。駐ラオス日本大使館によると、ポンサリ県に在留している邦人、日本企業はゼロとのことである。

ポンサリの産業はお茶となっている。ポンサリ茶というブランド茶もある。3年ほど前、日本の学術調査団が、ポンサリ県の標高1600mを越える山の斜面に群生するお茶の木を発見した。高さは12m、樹齢は300年を越えており、人工的に栽培されたものではないという。これがお茶の原生種とすれば、長らく謎であったお茶の起源に決着がつく。日本のお茶の歴史は、鎌倉時代臨済宗の開祖栄西が、宋からお茶の種を持ち帰ったことに始まると言われている。そのお茶の種の原産地がラオスのポンサリだとすれば、ラオスが少し身近に感じられるではないか。

アランに誘われなかったら、こんな田舎には来なかっただろう。ポンサリは県都ではあるがゲストハウスが数軒あるだけ、車もあまり通らない。食堂は何軒かあるが、レストランではなく飯屋というイメージだ。ラオスにはタイと違って屋台の店がない。ビエンチャンならばあるのかもしれないが、ウドンムサイ、フエサイ、ムアンムンにもなかった。これはお金を出して食物を買う習慣が最近までなかったせいだ、という説もあるが、タイであったら、どこでにでもある屋台食堂がないのはさびしい。

■中国の影響を残す街
ポンサリではお茶の取引が盛んであったという。山あいの冷涼な気候はお茶の生育に適している。生産されたお茶はポンサリからウー川というメコンの支流を下って往年の王都ルアンプラバンまで運ばれたのだろう。このポンサリとルアンプラバンを結ぶ航路は今も健在で、お客が揃えば、揃わなくても割増しを出せば舟が出る。メコンまで出れば流域4カ国と繋がっている。
一般的なルートではないが、タイのチェンコンからルアンプラバン経由でポンサリまで舟で行くことは可能だ。片道1週間くらいかかるらしい。

ホーチミン・ルートの大部分はラオス領内にあったため、ベトナム戦争時代、ラオスは米軍の徹底的な空爆を受けた。その量300万トン、国民一人当たり1トン以上の爆弾を落とされたが、ポンサリは不思議なことに空襲を受けていない。ポンサリ県は19世紀末まで中国雲南省の一部だった。そのため、古い中国風の街路が残っている。見て面白いというほどでもない。煤けていて何かみすぼらしいという印象を受ける。

■中国崩壊の時は
中国経済は末期症状だ。上海市場の株価は6月に大暴落し、GDPに匹敵する670兆円の不良債権を抱え、頼みの輸出は6月に前年同期比3.1%減と1年5カ月ぶりにマイナスとなった。中国経済7月崩壊は何とか逃れたが、リスクが消えたわけではない。中国政府の取れる金融政策はお札の大増刷か、お札の供給停止かの2つしかないので、経済が破綻する時はソフトランディングは期待できない。経済が破綻すれば、2億4千万という農民工が職を失い、農村に戻れずに流民化して国内外に溢れだす。日本にも中国難民が舟で日本に押し寄せると心配する人がいるが、遣唐使の時代から安全な航路ではないから、それほど多くの難民が来る心配はない。難民発生を本当に心配しているのは陸続きの国である。

先ごろ、北朝鮮からの密入国者がラオスから北朝鮮に戻された、という報道があった。脱北者雲南省経由でインドシナに入り込むのは日常茶飯事だ。ビルマラオスを経由してタイに密入国する脱北者はここ数年で4000人から5000人に上るとチェンライ県の担当者が述べている。北鮮人だけでもそれだけ潜り込むのであるから、中国に内乱が起これば東南アジアにン千万人の中国人が押し寄せても不思議ではない。ベトナムやインドは撃退できるかもしれないが、ラオスは軍事力は弱小、経済は中国に支配されている。もしもの時はラオスの人口を上回る数の中国人がポンサリ、ルアンナムターの国境を越えてなだれ込んでくるだろう。

豊かなタイにもメコンを下って雲南省から、ラオスから、ン百万の中国難民が押し寄せる。メコン川から数十キロしか離れていないチェンライは、暴徒化した中国難民の恰好の標的になるかもしれない。自衛隊が救出に来てくれるはずないし、タイ軍も当てにはならない。
その時は母を背負ってアカ族の村に逃げ込むことになるのだろうか。



写真は上から、「ゲストハウスの窓から」「ポンサリのメインロード」「ポンサリの朝」二枚、「茶畑」。