チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

メコンに沿って走る

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メコンに沿って走る

メコン
旅の2日目、北ラオス、サナブリ県でメコンを渡った。4号線のパックコン・サドゥア橋である。全長620m、2013年完成、それまでは渡し船しかなかった。メコン河は全長4350km、東南アジアで一番長い川だ。因みに日本で一番長い信濃川の全長は367km。メコンチベット高原に源流を発し、中国雲南省ミャンマーラオス、タイ、カンボジアを通り、ベトナムから南シナ海にそそぐ。

パックコン・サドゥア橋で休憩。4月は1年で一番水量の少ない時期で、眼下の河床には岩が突き出している。Nさんが持参の高度計で、ここで海抜296mです。ここからカンボジアベトナムと2千キロ以上流れていくのですから、トレンサップやベトナムメコンデルタで洪水が起こるのは当たり前ですな、という。メコンデルタカンボジア南部からベトナムにかけて広がっており、ナイルと同じく、川の氾濫により肥沃な農地を形作ってきた。中国をはじめ各国でメコンメコン流域で相次いでダムを造っているため、豊かな実りをもたらす洪水が減り、代わりに乾いた生産力の低い土地が残されるという重大な環境問題が生じている。また流域の漁獲高は中国のダム建設により、以前の4分の1に減ったという。流域各国は中国にダム建設の自粛を求めたが、一蹴されている。

中国ばかりでなくラオス水力発電用の「ドンサホンダム」を建設予定であるし、電力需要が旺盛なタイは、自国企業を使ってラオス国内のメコン川本流で「サイヤブリダム」を建設中だ。タイ発電公社が同ダムの電力を買い取る契約を結ぶ。小国ラオスにとって売電は主要産業。同ダムも延期勧告を振り切って建設を強行した経緯がある。

英語でいう川、RIVERは、敵対者を意味するRIVAL(ライバル)と語源が同じという。国際河川メコンを巡って流域各国の利害が対立して揉めるのは当たり前か。

■ツーリングの魅力
バイクツーリングには独特の魅力がある。快い風を体いっぱいに受けて疾走する爽快感、おもむろに加速して車を抜き去る優越感、次々と眼の前に繰り拡げられる風景、匂い、長距離走破の快い疲れと達成感、夜のビール・・・

2日目からずっとメコンに沿って13号線をを南下していった。テレビで見る旅番組と実際の旅で違うものは何か。それは体に感じる気温と匂いである。山越えの寒さ、タイのへそ、ピサンヌロークで経験した熱風、国道だって流れる空気は一様ではなく、そこならではの匂いがある。

サナブリからビエンチャンへの国道沿いで、屋台でメロンを売っていた。屋台には山盛りのメロンが積んである。この屋台が何百メートルも続く。あたりはメロンの甘い匂いで一杯になる。ナイフなど持参していれば、ちょっと車を停めて熟れたメロンにかぶりつくところだが、停まればNさんに置いていかれて迷子になってしまう。

ビエンチャンからタケークに行く道では進行方向右にメコンが見え隠れしていた。漁業が盛んらしく、干物の匂いで一杯だった、道路沿いに魚の干物の屋台が立ち並び、金網の上には川魚の開きが一杯並べられていた。干物街道だ。あの干物を肴にビールを飲んだらうまいだろうな、スクータに干物をぶら下げて走るわけにもいかず、それに買い物をしている間に置いていかれてしまう。

ツーリングはやりたいこととできること、そしてやらなければならないことを峻別して進む人生のようなものだ。

何故かわからないが、進行方向、右から左に無数の黄色い蝶が移動している場所があった。それが何キロも続く。右は林になっていてその奥はメコン、川から飛んでくるのか。モンシロ蝶より少し小ぶりの蝶だ。ひらひらと舞う様子は風に飛び交う桜の花びらを思わせた。黄色い花びらだ。蝶は車やバイクに衝突したのか道路にも一杯落ちていた。一部はまだ羽を動かしている。黄色い花びらが空中にも路面にも乱舞している。我が人生も悠久の自然に比べれば、この蝶と余り変わることはない。人間五十年、 下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり。あれ、もう50年以上生きているんだっけ。

メコンを見ながら
メコンを見下ろすレストランで食事をとることが多かった。タケークの対岸はタイのナコンパノム、多くの明かりがともっている。翌日、パクセからみる対岸は同じラオス領だった。対岸は暗くひっそりとしている。夜の明かりの差は中進国と後進国の差でもある。メコン河が常にタイとラオスの国境線になっているわけではない。インドシナを植民地としたフランスが国境を明確にしなかったせいもある。国境紛争は宗主国にとっては色々と都合がいい。竹島尖閣にも通じる問題である。




写真、上3枚は北ラオス、パックコンサドゥア橋、下3枚は南ラオス、タケ-クから対岸のナコンパノムを臨む。