チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラオス、アカ族の村を訪ねる 7

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ラオス、アカ族の村を訪ねる(7)

■パガン村続き
ポンサワン村もそうだったがが、ラオスのアカ村は一般的によそ者を歓迎する風潮はない。別にお金を落としてくれるわけではない。勝手に村に村に入り込んできて無遠慮にカメラを向ける。はた迷惑な存在なのだろう。また、観光客と比べ、彼らは決定的に貧しい。ラオスにも厳然とした人種差別があり、リー君も山岳民族は汚いですと当たり前のように言っていた。貧困と差別が人をかたくなにさせるのだろうか。
村に電気は来ているが、衛星テレビのアンテナを持つ家は少ない。街に近いせいか簡易水道は完備されているようだが、下水は山の斜面に流すだけ。

具なしラーメンを食べた後、子供たちに囲まれながら村を散歩、孫を背負った女性がアカの伝統的帽子を被っていた。アランが駆け寄ってポートレート撮影を始める。女性は明らかに迷惑そうな顔をしていた。

村のはずれには聖と俗の世界を分けるアカのパトォ・ピー(精霊の門)があった。神道の鳥居とよく似ていて、アカ・日本同祖説の根拠の一つとなっている。門は稲の種まきが始まるころ建てられ、注連縄が張られる。この門には木彫りの鳥が数羽載せられる。文字通り「鳥居」である。大阪和泉市弥生時代の遺構から、アカ族の村の門に置く鳥とまったく同じ形の木彫りの鳥が見つかっている。日本でも古くは鳥居に木彫りの鳥を飾っていたのだろう。鳥は天と地を結ぶ神の使いである。

よそ者はこの門に手を触れることは許されず、もし倒そうものなら豚5匹分ほどの弁償をしなければならない。鳥居の傍らには木製の男女の人形が置かれているのが普通。木の股や枝をうまく利用して、リアルに性器を作ってある。見ていて恥ずかしさを感じるくらいだ。
長野県で男女が抱き合ってキスをしている道祖神を見たことがある。病魔や悪霊がアツアツの道祖神にあてられて村に入るのをやめるからという。同じ発想だろう。

自分はパトォ・ピーの写真を何枚も撮ったが、アランは民族衣装の女性にしか興味がないので、1,2枚おざなりに撮っただけだった。

■トレッキング
パガン村の先にもアカ族の村があるのだが、本日はこれで終わり、来た道を引き返す。雲が切れ、日が差してきたが汗をかくほどではない。トレッキングと聞いて心配していたが、村内の泥道を歩いたときを除いて、サンダルでも特に問題はなかった。ラテライトの粘土はサンダルの裏にへばりついて、「どこまでもついていきます、下駄の雪」ではないは、時折しごいて落とさないことには始末が悪い。

アランは長身だからゆっくり歩いているように見えても足が速い。背の低いリー君と自分は足の回転力を駆使して彼に付いていく。多少の上り下りはあるが基本的には下り道。アランに近づくと明らかに息が切れている。こちらは日ごろテニスで鍛えているせいか息がはずむということはない。
アランはスモーカーである。喫煙者の10%は非喫煙者の3分の1程度に肺機能が低下しているという報告もある。

どうしたの?息が切れてるよ、煙草を吸うせいじゃないのかい、と冷やかすと、アランはそんなことはない、去年、海抜4千mのネパールでトレッキングしたけれど何も問題なかった、とムキになる。年寄り扱いされるのが気に入らないらしい。

■農耕民族と狩猟民族
テニス仲間のジョージは80歳だ。派手な大型バイクでコートに乗りつける。セカンドサーブでも強気の全力サーブ、でも脚力がないので、ロブに追いつけない。悔しがる。俺はまだ若い、やれるんだという気持ちはわかるが、痛々しく感じることがある。

なぜ欧米人は若くありたいという気持ちが強いのだろう。最近はお若く見えますね、といわれて喜ぶ日本人が多くなったが、昔はそうではなかったようだ。芭蕉は享年49歳であるが、宗匠として40前から芭蕉翁と呼ばれていた。平戸藩主にして甲子夜話の著者、松浦静山は47歳で隠居して静山翁と称している。年をとるということは円熟を意味する。早く隠居し、若者とは張り合わない。趣味の世界に生きる。社会もそれを容認する風潮があった。

一方、狩猟民族であった欧米人にとっては、体が動かず、戦いや狩に参加できない老人は足手まといの役立たずだ。置き去りにされても仕方ない。捨てられないために精一杯、若さを誇示しなければならなかった。
「何歳からを老人と思うか」というアンケートに欧米人は79歳から、と答えており、日本人はそれより5歳低かったと記憶する。年寄りは年寄りらしく、それでいいのでは、と自分は思うのだが・・・・

そんなことを考えているうちにGHに着いた。15時15分、6時間ほどの山歩きだった。(続く)


写真は上から「村からの眺め」「お手伝い」「パガン村の子供」「女性の人形」「撮られて迷惑」「村の道」「精霊の門」