チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラオス、アカ族の村を訪ねる 21

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ラオス、アカ族の村を訪ねる(21)

■アカ族の民族衣装
アノン村に着いたのは2時近かったと思う。アランとリー君は阿片の煙が漏れてくる家に入り込んでしばらく出てこなかった。自分はアヒルと豚と犬がたむろする道を登り、アカの家屋を遠くから撮った。子供はカメラを見ると逃げるし、大人は胡散くさそうな眼を向ける。それに中年はもちろん二十歳前後でも上半身裸という女性がいて、不用意にカメラを向けると男たちに袋だたきにされるかもしれない。

ほんの100年前は北タイでも女性は腰巻一つで暮らしていたようだから、胸をさらけ出すのにそれほど抵抗はないのだろうか。おっぱいは丸出しでもアカの女性はウシュというアカ独特のヘルメットをしっかり被っている。ウシュは子供、未婚、既婚者用とあり、既婚の場合、何人の子供を持っているかもわかるという。形からアカ族のどの支族であるかもわかる。特徴ある被り物に加え、黒の上着にミニスカートに脚絆というシックないで立ち。衣装には美しい刺繍が施されている。文字を持たないアカ族はアカ族の歴史や言い伝えをこの刺繍の中に縫いこんでいる。アカ文化に詳しい人であればいでたちを見ただけで、例えばどこから来たウロアカで、只今婿さん募集中とか彼女の身許が全部わかってしまう。
またウシュを見れば人妻を口説くという間違いを犯さなくてすむ。もっとも山岳民族は結婚するとあっという間に老けてしまうので、初めからその心配はないかもしれない。

アカの民族衣装はエキゾチックで見る人を魅了する。写真に撮ると絵になる。だから山岳民族というと必ずアカ族の写真が表紙になる。アランがアカ女性の写真を撮りたがるのも同じ理由だろう。

■アノン村を後にして
3時半になった。ウドンムサイを出たのは9時過ぎだった。稲刈り撮影や昼食に時間を取られたにしてもアノン村まで、4時間以上かかっている。早く村を出なければ、帰り着くころには真っ暗になってしまう。アランがまだ30分くらいいいだろう、などと言って村の中をぶらぶらしていたので、村を出たのは4時少し前だった。村はずれでは典型的なアカ族の精霊の門、「パトォ・ピー」がバイク越しに見えた。写真を撮りたいと思ったがもう遅い。

下り道で畑仕事から村へ戻る女性達と何度もすれ違った。3,4人ずつのグループだが皆、ウシュとミニスカートのアカコスチューム。
リー君が「サバイディー・ボー」と挨拶するのだが、言葉を返してくれる女性はまれだ。びっくりしたようにこちらを凝視するだけ。アカの女性は働き者だ。歩きながら背中の篭に入れた棉から糸を紡いで糸巻きに巻いている。中には一針ずつ刺繍をしながら歩く娘さんもいる。花嫁衣装は糸から、織り、染付、刺繍まですべて自分で作るのがアカ女性の風習であるという。
篭をしょったアカ男性は殆ど見かけなかった。ラオスのアカ族も東南アジアと同じく、お祭り以外は男は働かない、農作業は女性の仕事と決まっているみたいだ。

■ウドンムサイへ
5時半、暮色が迫るころ国道にたどり着いた。暗闇の山道走行は避けられた。国道は片側1車線ではあるが舗装されている。危険度は低い、といっても、時折、どうして、と思うほど大きな陥没個所がある。ここに突っ込めばバイクは転倒、リー君と自分は道路に放り出される。スピードは出せない。

ラオスの国道には街灯がなかった。人家のない個所はバイクの前照灯だけを頼りにひたすら走る。ウンカであろうか、おびただしい数の虫が顔面にプチプチとぶつかってくる。ほとんど目が開けられない。それに北ラオスの11月である。陽が落ちると急激に気温が下がって来た。アランはヤッケを着ていたが、リー君と自分はTシャツ一枚だ。こんなに帰りが遅くなるとは思っていなかった。自分は後部座席でリー君に体を密着させて体温の低下を防いでいた。でも虫の大群と冷風に全身を晒しているリー君は、いくら若いといっても大変だったと思う。

バイクの運転はしなかったものの、18時30分、ヘトヘトになってウドンムサイへ帰着。ゆで卵3個だけの昼食だったアランがすぐ夕飯にしようという。炒め物や焼き飯などの食事をとって3人で10万キップ(1,000円)の勘定。うち、ビールが2本で2万キップ。

ガソリン代2万キップをアランに借りていたので、それじゃビール代を自分が払うから、残り8万を2人で割ろう、と4万出したら、アランがそれはおかしいという。まず、俺に2万返せ、そして食事代は5万ずつ出す、これが公平なやり方だという。言われればその通りなのだが、未だに計算の違いがよくわからない。


写真上の2枚がチェンライのアカ族、下の3枚はアノン村で撮ったものです。