チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

老いの繰り言

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老いの繰り言

■アジアは一つ一つ
老いの繰り言みたいなことばかり書くのはやめろよ、と兄が言う。ここ数年、8ヵ月の日本滞在を除いて、ウズベク、タイとずっと外国暮らしだから、日々、文化摩擦に接し、自分が日本人であることを意識することが多い。また異国との比較で何かと祖国日本のことが気になる。

それにしても昨今の政治の体たらくを見ると慨嘆を禁じ得ない。一人で慨嘆してればいいのだが、つい原稿にしてしまう。他にストックがないからそのままアップしてしまう。申し訳ない。

実は3年前、民主党政権発足直後に鳩山代表の提唱する「東アジア共同体」の危うさ、非現実性を批判する原稿を書いたことがある。
自分はアジア政治経済のニセ研究員をやっていたことがある。いくら本職でなくても少しでもアジアを齧ったことのある人間なら、「東アジア共同体」のデタラメさに気付く。「アジアは一つ」ではなく「アジアは一つ一つ」(渡辺利夫拓殖大学長)なのだ。
でも民主党の勝利に多くの人が狂喜乱舞していた時である。もしこのような鳩山さん批判の原稿をアップすれば、読者の大半は不愉快な思いをするであろう。そう思ってボツにした。

■避けるべき話題
パーティの席で相応しくない話題が3つあるという。それは政治の話、宗教の話、それから自分がもてた話だそうだ。
政治信条についてはみな自説を曲げない。欧州団体旅行で、陸軍幼年学校出身の老人と、退職後、中国の大学に語学留学し、中国人学生に日本はお国にひどいことをしましたと謝り続けた老人が同室になった。毎晩、不毛な議論の連続、ストレスと疲労で幼年学校は帰国後、脳溢血で倒れた。

近所の人が聖教新聞を無料で投函してくれるのだがあまり読むところがない、座談会など一方的な糾弾になっていて、などと宴席で話していたら、私、創価学会です、などという人が出てくる。あ、でも勝利にまい進しようとか元気な見出しが多くていいですね、などとフォローしても遅い。

政治と宗教の話は、妥協する余地はほとんどないから、お互い気まずい思いが残る。本音をぶつけ合うことが大切です、などと能天気なことをいう人がいるが、こういう人は外交官や営業の仕事には向かないと思う。せいぜいニュースキャスターくらいか。

なお自分がもてた話がパーティでふさわしくないのは、聞いている人が面白くないから、だそうだ。でも今の自分であれば、そうですか、それはよかったですねえ、実に羨ましいです、くらいの相槌は打てる。どうしたらそんなにもてるようになるんですか、と聞きたいところだが、聞いてももう遅いような気がする。

■アジアは日本を
8月に入ると、NHKは恒例行事のごとく広島、長崎の原爆、終戦の特集を組む。戦没者を悼むのはわかるが、非戦闘員である女子供、老人を無差別に殺戮した者は誰か。1夜に10万人を焼死させた東京大空襲を始め、米軍の行った全国147市町村の空襲は、ハーグ陸戦条約の違反ではなかったか。

戦争をしてはいけない、でも一度戦争したら決して負けてはいけない、と自分は思っている。負けてしまったために歴史を替えられ、洗脳され、自国に誇りを持てない国民にされてしまった。

このような日本の状況を歯がゆく思っている国もある。
ご存知のようにタイは日本と共に米英に宣戦布告し、共に戦った同盟国である。それを誇りに思っているタイ人は少なくない。バンコクチェンマイを始めタイ全土に250回の空襲があり、延べ3000機のB-24、B-29爆撃機が2万発を越える爆弾、焼夷弾を落とした。でも日本のせいで無辜のタイ人がたくさん死傷した、などと恨み言を言うタイ人に出会ったことはない。

1955年6月、元タイ駐屯軍司令官であった中村明人陸軍中将がタイ王国国賓待遇で招待された時、後にタイ初の文民首相となるククリット・プラモート氏は以下のように述べている。

― 日本のおかげでアジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米英と対等に話しが出来るのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの二つの日をわすれてはならない。 ―

8月15日を前にして民主党議員ばかりでなく多くの人に、大東亜戦争と日本をこのように見ている国があることを知って頂きたいと思う。


写真はカオパンサー(安居入り)の時のものです。暦の上での雨期入りです。