チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

気分はブルー

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気分はブルー

■ブログ休載
石の上にも三年、などというがブログも3年続けることはかなり大変なことだそうだ。2005年から1日も休まずチェンマイでブログを書き続け、北タイブログの消長を見続けてきたYさんによると、ブログ休載にはパターンがあるそうだ。

先ず、同じことばかり書くようになって読んでさっぱり面白くない、自分でもマンネリに気づいて、書き続けるモチベーションが落ちる。こういう時に限って、なんだ、お前のブログは、とこき下ろしコメントが読者から寄せられる。書きこみは匿名であるから、人格否定と言っていいほど過激になる。

大体、ブログを書こうという人は自分も含めて、自己愛性人格障害の傾向がある。この障害を持つ人は「肯定的な評価」しか受け入れられず、些細な批判に傷つく。特徴を箇条書きにすると以下の通り。

・脆く崩れやすい自尊心を抱えている
・些細な批判や否定にも傷つきやすい
・成功を収めていても、少しの悪評でひどく傷つく。
・非難に弱い。あるいは非難を全く受け付けない。
・容易に傷つき、拒否されたと感じる
・小さな過ちであれ、欠点を指摘されることは全てを否定されるように思える。
・非難から逃れられないと悟ると、すべてが台無しになった思いに駆られ、ひどく落ち込む。

大体、自分でもつまらぬこと、同じことを書いていると自覚しているのに、それを他人に厳しく指摘されると、まさに「全てを否定されるように」思われ、ひどく落ち込む。もうブログなんかやめよう、ま、こういったパターンが多いそうだ。

■我がブログもマンネリか
2006年4月にウズベキスタンに赴任した時にブログを書き始めた。帰国して8ヵ月ほどのブランクはあるが、足掛け10年、週2回のブログを書き続けている。介護ロングステイについては月一回書いているが、母の介護は毎日同じことの繰り返し、でも介護は、昨日と同じ日が今日も、今日と同じ日が明日も続いてくれることが一番なので、これは仕方ない。先月と変わったことはなかった、と書けることが自分の幸せでもある。実は介護以外の我が日常もとりたてて変わることはない。テニスに出かける。PCに向かってネットを読み、時には原稿書き。女中さんと買い物に行く。

働いていたころは、出社してみたら巨大クレーム発生、誰に報告するか、解決策は、損失見込み額は、などとドラマチックなことが立て続けに起こったものだが、今の生活はいたって平穏。今日も平穏でした、の一行で原稿は終わり、となる。でもそれではあんまりだ、という気がするので、何とか1800字書く。書きながら、前に同じこと書いたことあるよな、とぼんやり気づく。特に政治がらみの記事に多い。昨年12月、「海難1890」というトルコと日本を巡る映画が上映されたことに刺激され、歴史のエピソードを絡めて自分がイランの石油化学コンビナート建設現場で取り残されたことを書いた。でも後で、2010年6月に同じことを3本ほど書いていることに気づいた。

イランに自分がいた1979年から、今に至るまで海外邦人救出のための法案整備はほとんどなされていない。メコンを下って中国の軍民暴徒が北タイを侵襲し、暴虐の限りを尽くす時、自分のような年寄はどうでもいいが、せめて会社や学校で働き、学んでいる若い邦人だけでも航空自衛隊のC130 輸送機で脱出させてほしい。と、ここまで書いてきて、伝統芸能ではないがこれも繰り返し書いてきたことと気づいた。

年寄が言って甲斐ないことをクドクドと繰り返し喋ることを「老いの繰り言」というが、「老いの繰り言」という全く同じ表題でブログを2本書いている。全然気が付かなかった。

■最期の藁
天候や旅行の話と違って、政治の話は書きながら多少は怒りの感情が湧く。怒りの感情は免疫系に負の作用を与え健康に良くない。自分ばかりでなく、世の中、いろいろな考えがあるから読んで不愉快人になる人もいるだろう。
タイの田舎に逼塞しながら、何もお上にたてつくようなことを書かなくても、年が年なんだから「なんでこんなに可愛いのかヨ~、」と孫の話でも書いていればいいじゃないか、という声も聞こえてきそうだ。孫は2人いる。でも、はい、おじいちゃん抱っこして、という距離に住んでいないので、いくら小遣をやろうかと悩まなくてもいいと同時に実感がない。

同じことばかり書いて、といくらか自己嫌悪に陥っているが、最近、友人の指摘でブログへのコメント書き込みが不調であることを知った。
書き込みが「駱駝の背骨を折る最期の藁」となったかもしれない。これも天の配剤と考え、もう暫く「毎度ばかばかしい」ブログを続けてみます。